はてなキーワード: ブロゴスフィアとは
増田宇宙通信所では、アルファブロガーからの電波を受信し、ブロゴスフィアが正しい軌道や位置及び姿勢を保っているかを監視したり、搭載している人工無脳などが正しく機能しているかを知るためのデータを、筑波宇宙センターに送っています。また状況に応じて、分裂勘違い君にコマンド(指令)信号を送信し、小飼弾の軌道や姿勢の制御及び搭載機器の調整を行っています。 小飼弾の追跡管制とは別に、otsuneからの電波を受信し、飛行状態の監視を行うとともに受信したotsuneのデータを鹿児島宇宙センター(種子島)に送っています。
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詳細はチラシ(PDF:280KB)をご覧ください。
「ブロガーは何故ブログを持ちつづけるか?」という事を考えているうちに、「結局ブロガーは生へのルサンチマンを歪められた生へのメタファ考察で誤魔化してるだけじゃね?」という結論に辿りついた。
以下考えてた内容。
人間的魅力、運動能力、コミュニケーション、セックス… 色々思い浮かぶはずだ。
ルサンチマンを抱えているってことは、ものすごく、ものすごく苦しい。
[これはひどい][ブログ作法][揉め事][差別][非モテ]等のブクマタグに共通するものがある。
これらは全て、「コミュニケーション」、「相互理解」、「幸福」、「道徳」、「哲学」、「愛」、「人生」、「セックス」等の、「生の構成を多分に支えているもの」のメタファであるという事だ。
例えば、ブログで、ブロガー同士が話をするのは、現実に人同士が話をすること、つまりコミュニケーションのメタファだ。
だが、密かにブロガー達に語りかける内容はだいたい一緒だ。
「現実は君の事を否定するけど、君はブロゴスフィアの中では、全然間違ってなんかいないんだよ」
実際には、現実は人を否定したり肯定したりしないし、人そのものに正しいも間違ってるも無いんだけど。
ルサンチマンを打破するよりも、ブログ更新で慰める方が手っ取り早い。
なぜなら、ルサンチマンの打破は、とんでもない努力が必要で、とんでもなく難しいから。
しかもそれは感受性が高ければ高いほど。
ブログ更新は、時たま出版物としての形を持ち、ブロガーの自尊心を高める。
これにより、余計にルサンチマンを打破するのは難しくなる。
ブロガーは、ルサンチマンを打破せずに誤魔化しながら生きていく。
ブロガーとブログ更新はブロガーが生きていくために不可分なものとなり、
ブロガーのルサンチマンは打破されず、誤魔化されたまま、ブロガーはこれからも生きていくだろう。
ブロゴスフィアでは、権力の横暴が非難され、撤去の根拠となっている地域住民のクレームの正当性も疑問視されてやがる。アホか。大阪市に住んでる人間としていわせてもらうが、近所の公園にホームレスのテントなんてない方がいいに決まってるだろ。でもそんな意見は政治的に正しくないことはわかってるから、俺は匿名で書くだけだ。
行政の支援策が万全ではないことは認めよう。自立支援のための方策をもっと効果的にするというのだったら、カネですむなら応分の負担くらい余計に支払ってやる。正直むかつくけどな(当たり前だ)。その代わり、大阪の公共施設にあるホームレスの居住設備の全面撤去、別の地域からのホームレスのこれ以上の流入の禁止、この2つが条件だ。なんで俺がホームレスと共生なんかしなくちゃならんのだ。
べつに俺の意見が声なき大阪市民を代弁してるなんてことは思わないが、よそのバカが地域住民はホームレスの存在を許容しているなどと誤解すると困るので、こういう地域住民もいるということを示しておく。
僕は某企業で、世界で五本の指に入るトイレを開発した凄腕技術者だよ。
どの製品かって?それはちょっと答えられないね。
ヒントは、どんなウンコも詰まらないトイレ。
きっと君もどこかで一度はこのトイレを使ったことはあるだろう。
君のおうちの快適なトイレもひょっとするとそうかもしれないね。
あるITベンチャーのお偉いさんのTさんがウンコの絵をブログに載せていた。もうダメダメだったよ。
ウンコみたいな稚拙な落書きなんだけれど200ブクマ集めてるの。
時代の先端を行くTさんはウンコ絵描かせてもすごいねとブクマコメントがついてるの。もうバカみたいだった。
僕はもう見てらんなくなって自分のブログにウンコの絵を載せたよ。
なんてったってトイレもウンコを知り尽くしているトイレのプロだ。
そんじょそこらのウンコ絵とは違う。
でもブクマされないどころか「実績もないくせにTさんに対抗かよプゲラ」と罵倒コメントをもらう始末。
相手も素人だもんね。ウンコ絵のよしあしなんてわからないから許してあげた。
でもさ、僕がTさんと対等に評価されるためにはどうすればいいのさ?
実績?
トイレの試作品を公開するの?単著を出すの?仕事と同等のクォリティのブログを書くの?
どうせ作り話のハッタリだろうって?
トイレもウンコも知らないただのウンコな野郎のたわごとに違いないって?
そんな疑問はナンセンスだ。ウソかもしれないしホントかもしれない。だからこそ増田に書いているんだ。
大事なのは、君は人の実績や知名度を見てウンコの評価を決めてるんじゃないかって事さ。
君がつまらないと思ったウンコ絵、実はウンコを知り尽くした奴の描いた素晴らしいウンコ絵なのかも知れないよ。
奴がウンコを知り尽くしているって事を君が知らないだけでね。
さっき起きたらいきなり脳の中にこの詩が出来上がっていたので、思い切って公表することにします。照れますが。
僕らは勝手だったよ
雨だれを拭き取るワイパーの往復を
バスの座席から眺めながら
百年先にもやっぱり人類は
際限なく雨を拭い続けるのかと思った
大気圏をH2Oが循環するように
僕らのやり取りも結局はぐるぐる回って
全部間違っているかそれともとりあえずは
まだ間違いを証明できないことを絶えず確かめ続けるか
なにもかも止まらないまま不均衡に安定して
自分の衝動を書き留めることにおおわらわで
僕らの感情のすれ違いを
改めて見直す時間もないけど
かつて僕らの感じたシンパシーを
事後的に現実にするために
君が同意するかわからない解釈で
目に見える世界を記録しておく
つくづく勝手な気持ちだけれど
そっちはそっちでどうぞご存分に
ディスコミュニケーションをメタで解釈しようとできる
僕らは勝手だったよ
僕らは自由だったよ