はてなキーワード: スペクトルとは
いいんだよ。任意で。まやかしで。
どうせ民族なんて近代国民国家成立と同時に作られた新しい概念でどうたらこうたらみたいなベタな話でしょ。ネーションステートのネーションと民族の意味のネーションは同じだとかなんとか。
そもそも人が設定する区分なんて全部まやかしなんだ。青と赤、色が違う。でもスペクトル上でハッキリと区別されてるわけじゃない。任意にここが赤、ここが青と決めてるだけなんだ。犬と猫、何が違うのか、互いに交配できないと違うと見なすのは絶対的な分類法なのか? 道産子とサラブレッドは違うのか? ウマとロバは? 歴史と現在の境目は(←ここ重要)?
その上で、曖昧だろうが適当だろうがそれを維持しようという価値観があると。そしてそれはアパルトヘイトだとは思わないから否定する理由はないと。あとは趣味の問題であって、言わば芸術至上主義みたいなもんだと。それのためなら芸術のためなら死んでもいいみたいな。いや死にたくはないけどさ、極端な話よ。そういう価値観の方向性っていうか。
で、否定する理由がない以上、対立する意見もそれこそ同価値なんだと思う。ご飯が好きかパンが好きかくらいの違い。で、どっちかしか食べられないとなったら戦うか逃げるしかないわな。
横だけど。
その異常性は本人に由来するものなのか、環境に由来するものなのかって議論はあり得るんじゃない?
後者を重視する立場なら、「誰でも、それなりの環境にそれなりの時間置かれれば、異常犯罪を犯し得る。圧倒的多数の人が凶悪犯罪を犯さないのは、「それなりの環境」に置かれることが滅多に無いから」ってことになるでしょう。
私は両方あると思うけどね。100%環境のせいではない(異常性、凶悪性を外に出しやすい素質はあるだろう)けど、だからといって本人に全くその素質が無い(どんな環境に置かれても異常な犯罪を犯すことは決してない)という人もそんなに居ないと思う。それまで普通に混ざって社会生活を送っていた人たちがいきなり殺し合うようになることだってこの世にはあるんだし (『ホテル・ルワンダ』観た?)---それは極端な例だと言うかもしれないけれど、連続するスペクトルの一端じゃないかな。そこまで極端でなくても、現代の日本社会でだって個人のレベルで追い詰められる人はいるわけだ。
修士課程入学
↓
自分の研究できなさ??「考える」ことの難しさ??に思い悩む
↓
半年間、うつで通院
↓
惰性で博士課程進学
↓
↓
IQ測定、傾向判断
↓
↓
さて、どうしようか ←いまここ!
マジアスペから言わせてもらうと、自分がアスペルガー症候群だってわかった時から新しい努力が始まる。
アスペだとわかるまでは、自分が人と同じようにはできないということがわからずに、無駄で非効率な努力を繰り返しては挫折してきたけど、アスペだとわかってからは、自分には何が出来るのか、何が出来ないのか、どういう方法でならできるのかを見極めて努力するという方向になるんだよ。
そうです、そうなんですよ!
あなたの意見には、うつ・自閉症の双方の当事者として、まったくもって同意です。
と同時に、さて、これからの自分の身をどう振って行こうかなぁ・・・。
横から申し訳ないけど、音質の指標ってなにか客観的なものがあるの?
いや、俺は音の方は素人なんで何も知らないんだけど、同じだけのデータサイズに収録できる情報量は、どういうサンプリングの仕方をしたって同じでしょ(同じ時刻のデータを重複して収録するとかそういう変なことをしなければ)。オリジナルの音声にはホワイトノイズみたいなのだってあるわけだし。
だから、スペクトルとかに何らかの仮定をしないと圧縮効率のよしあしなんて何も言えないと思うんだけど、そのモデルの妥当性ってのは、ターゲットの音声によってだいぶ違ってくるんじゃないだろうか。音楽だけに限っても、打楽器を重視するメタルとかと、弦楽器なんかが重視されるクラシックじゃ全然違うだろうし。
http://anond.hatelabo.jp/20070504144115
それじゃモノクロだよ。縦、横、濃度(輝度)だ。
PCモニタを通した話をすると、縦、横、R、G、Bであるし、現行のアナログテレビは縦、横、輝度、色差信号、色差信号である。5次元情報だよ。
これが印刷物になると、実物と同じ次元まで行ってしまう。可視な波長一つ一つに対して、CMYK特色箔押しなど各種印刷用塗料・染料素材の分光反射特性と印面の反射特性の合成を行った関数に対し、光源のスペクトル分布を掛け合わせた後、ヒトの持っている眼球と脳での処理を重ねて色というものは得られる。
可視光は大体380nm-780nmの間だから、簡単のため1nm単位で反射率を離散化して各波長に一つデータを割り当てるとしても400次元が必要だ。*1
印刷されたイラストは402次元、モニタのイラストは5次元ということにしようじゃないか。
(*1 実際の研究の話を聞くと、現行の3では光源変更のシミュレーションに耐えられないが6だとだいぶマシになり、16ぐらいでそれ以上増やしても労力の割には効果が少なくなってくるほど高い効果が得られるらしい。)
人間の価値観は光のスペクトルのような「色」みたいなものであって、自然光のように赤から紫までの色が連続している方が普通だと思っていたわけ。
ところが実際はどうも違うようで「赤1色の世の中は素晴らしい」だとか「世の中が紫だけになればどれほど美しい事か」という言説で溢れかえっていたりする。
何というか背筋から尾骶骨にかけてムズムズするような、現代美術館で号数が大きくて色を1色しか使ってない絵画に対峙したときのあの独特の緊張感が呼び起こされる感じ。
多種多様な意見が集約された価値観スペクトルの中でもある部分が欠けて暗線になっている事があって、この欠けた部分の吸収スペクトルが実は結構重要だったりする。あわよくば自分が発見して「その発想は無かったわ」と人から言われることを至上の喜びとするような、もっとそいういう楽しい人間が増えれば世の中きっと良くなるのにと教科書を読みながら思った。