「悪いことをすると罰が当たる」ようなニュアンスを聞いてきた。
ある程度育つとんなわけねーだろアホかと思うようになった。
しかし、さらに経験を重ねると、そう考えたほうが楽に生きることができることを知った。
なぜなら世の中は理不尽でできているからこそ、小さな理不尽を行った人間も理不尽に襲われる可能性が高いからだ。
だからこそ、その理不尽は己の手で行う必要などないのだ。
さらにはそういった人間に対するコストを割く時点で無駄なんだ。
多分皆さんある程度年齢を重ねているとすぐにわかることだろうが、私にはおそらく健常者ギリギリアウトくらいの知能しかなかったので成人後に至る形となった。
なお、このお気持ちはまさに理不尽を受けて顔を真っ赤にしながら思いついた。
Permalink | 記事への反応(1) | 16:24
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理不尽を通せる人間は強い人間なので 理不尽に襲われる可能性は弱者よりも低いぞ
そのとおり しかし、弱者が大多数であり私も弱者であるがゆえに 強者について考える必要はある? 多分それこそコスト的に無駄だと思うけど
マルクス主義者ですか? 普通は弱者性にはグラデーションがあると考えると思うけど
えっと、理不尽を跳ね返せる強者でないのが弱者という話の流れだったと思うけど その弱者にグラデーションがあったとして、なにか関係あるの?