2024-03-21

ならばわたし彼女の分まで泳いであげなければ

タイトル文は矢野顕子のxから抜粋である

池江璃花子の闘病中、泳ぎたくても泳げない彼女を見て、カナヅチにも関わらず水泳を始め、上記心持ちで奮闘していたらしい。

「〇〇の分まで✕✕する」

これ美談としてよく語られるけど、読んだ瞬間おれの頭はクエスチョンマークでいっぱいになっちゃった

これ、された側嬉しいか

よくよく考えれば、なんで今まで美談地位を勝ち得てきたのか全く理解できない。

みんな自分がしたい何かできなくなったとき、誰かが「わたし、〇〇の分まで✕✕するよ…!」とか言ってきたらどう思う?

おれは「え、いや自分のしたいことしなよ。それ別に意味ないし」と思う。

  • ワイ、会議中に苦しんでいる同僚を見て「お前の分まで今からウンコしてくるからな」と熱い決意を胸にトイレに向かう

  • 相手のためにやるんじゃないんだろうね 自分の中の気持ちを消化させるため、この場合は「泳ぎたくても泳げない人がいる、その必死の想いを自分の中でどう消化すれば良いのか」から...

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん