「かもしれない」というのは、母親と妹との会話や私がその場に入ってきたときの雰囲気でなんとなくそんな雰囲気を感じたためである。私は三人きょうだい。兄は数年前に結婚して1年前に子が生まれた。親は家のリフォームを考えつつ私に家を継ぐ打診をしてきた。とりあえずめでたさ、悔しさ、あるいは自分の人生を省みた先行き不安感で電気ブラン(40度)を数杯呷った。
私に浮いた話はいつ来るのか。世間から浮いていることは自覚しているが、それが故に浮いた話はない。気分は沈んでいる。
浮いた話がないが故に沈んでいるとはこれ如何に。
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