単に「冷めた」と言えば済む場面で多用されているように感じる。
「冷めた」と言ってしまうと、主体は明らかに誰か人間であり、その人自身の責任になるが、蛙化と言えばその主体は「現象」という人以外のものになり、一見すると人には責任が発生しない。
ある種の無生物主語か。
自分も他人も確実に責任は回避しつつ、自らの心情を適格に表明することができる、イマトキワードの1つなのだな。
こういうの好きな人多いよね。
Permalink | 記事への反応(0) | 12:06
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