活動家の意見を鵜吞みにして何が悪いのかと言えば、当事者性をそのまま国政に反映させるのが良くないということなんだよな。
当事者性に当事者性をぶつけて対抗するという悪循環が分断を作っている。
灯台下暗しと言うように、当事者だからこそ見えないこともある。
政治活動と言うのは、政治力学を動かすところに価値があるのであり、最後に責任を持って決めるのは代表たる政治家であるべき。
逆に、市民の政治活動というのは無責任にどんどんやって良い。
たかが政治活動に政治家の責任感を求めるべきでないし、活動家気分で政治家をやられても困る。
Permalink | 記事への反応(0) | 11:59
ツイートシェア