2023-06-17

活動家意見を鵜吞みにして何が悪いのかと言えば、当事者性をそのまま国政に反映させるのが良くないということなんだよな。

当事者性に当事者性をぶつけて対抗するという悪循環が分断を作っている。

灯台下暗しと言うように、当事者からこそ見えないこともある。

政治活動と言うのは、政治力学を動かすところに価値があるのであり、最後責任を持って決めるのは代表たる政治家であるべき。

逆に、市民政治活動というのは無責任にどんどんやって良い。

たか政治活動政治家責任感を求めるべきでないし、活動家気分で政治家をやられても困る。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん