もろちん、「必ず何かしらのアクションを起こさなければならない状況である」という前提において
「こういうアクションを起こす!」に対して「それはダメ」って言うからには
「じゃあどうすればいいんだよ!」を答える必要があるのは理解できる。
でも実際にそういう状況であることは少ないわけで。
例えば「今から一緒にこれから一緒に殴りに行こうか」って時に「行かない」って言うときとかに
「対案」を求められても「どこにも殴りに行かない」ってこと自体が対案だと思うんだよな。
でも、対案厨からは「殴らないならどうするか対案を出せ」って言われる。
なんで一緒に行ってなんかするって前提なんだよ。
対案を求めることって前提の共有の強要だと思うんだよな。
「老人への支援でこういうことやります!」って誰かが言った時に
「じゃあどういう老人支援すればいいのか具体的に言ってください!」って求めるのは