「~力」とはいうものの、本当はそんな「力」など存在しないように思う。
あることを決断、判断できるかどうかは、何かの「力」によるのではなく、単に(その決断、判断をした結果、善悪かかわらず何がどうなろうとも決して逃げることなくすべて全面的に甘んじて受け入れることができるだけの)「勇気」「覚悟」「器」「度量」といった至極主観的、感情的な要素のみで決せられるのではないかと思わずにはいられない。
決断、判断をするにあたって「根拠」「理由」「助言」などを求めたがること自体は自然なことだが、結局のところそれら「根拠」「理由」「助言」を受けた上で(結果の善悪かかわらず何がどうなろうとも決して逃げることなくすべて全面的に甘んじて受け入れることができるだけの)「勇気」「覚悟」「器」「度量」を自らが発揮しない限りは、最終的な決断、判断に至ることはない。
根性論じゃん。ただの感想でしかない
そうだね、とどのつまり"ケツの穴の小さい"やつには決断や判断はできない、それをするに相応しくないということだよ。