「恋」とされるもののかなりの範囲は、「自己愛」に近いものではないかと感じることがある。増田が関わった若者のように、自分の世界を彩るため、自分の想像する「恋愛」の形を満たそうとするため、客観的に価値のあるとされる人間を手元に置いて、自分にも価値があると思うため。自分の頭の中の世界の拡張に一役買うのが恋愛、と思えてしまう。
本当の意味で相手を慮ることは、きっと恋ではなく愛という言葉に変わる。それを自分も含めてどれくらいの人が取得しているか?はなかなかの難問に思える。
Permalink | 記事への反応(3) | 12:24
ツイートシェア
そう、自己愛だからストーカーになる場合もあったりするんだよなぁ
ただ自己愛を否定しすぎるのは周囲にとっても良くないからな オスカー・ワイルドの「幸福な王子」のようであれば良いとは限らないから恋愛は難しい
せやな感。自己愛って、プライドというか自己肯定にも繋がるものだろうから、自分を愛し人を愛せ的な、プロセスとしては必要なもんなんだろうな。ただそのプロセスのどの過程に自...
んなこたあない。 恋しても我慢できる人は我慢できるんだよ。