2021-10-22

多様性とは「みんなが快適な世界」ではなく「みんなが少しずつ不快

多様性とは「みんなが快適な世界」ではなく「みんなが少しずつ不快世界」です

という意見同意多数なそうな。

 

でもちょっと考えて欲しい。

世界100人構成されているとして10人の完全に虐げられた人と90人の幸福な人がいたとする。

快適度の最大値を100とすれば、快適度合計は0 * 10 + 100 * 90 = 9,000。

虐げられた人が多様性によって快適度が80まで上がったとする。それにより90人の快適度が95に下がったとしたら、快適度合計は80 * 10 * 95 * 90 = 9,350。

まり、「90人は多少不快になったが10人の快適度は大幅に上がり、社会全体の快適度も上がった」という状態になったということ。

多様性とは「みんなが快適な世界」ではなく「みんなが少しずつ不快世界」です

後者の「みんな」には、快適になった10人は含まれてない。

 

政治が考えなければならないのは、10人の快適度を80にするために、90人の快適度を80まで下げなければならないような場合(快適度合計は8,000)、そのような多大な犠牲を多数に課してまで10人をすくうべきかどうかということ。そうすべきという結論なら、すべしってことだね。

  • 多様性= (マナーやルールに反しなければ) 他人に干渉するな!が最適解

  • つまり、「90人は多少不快になったが10人の快適度は大幅に上がり、社会全体の快適度も上がった」という状態になったということ。 多様性とは「みんなが快適な世界」ではなく「...

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