でもちょっと考えて欲しい。
世界が100人で構成されているとして10人の完全に虐げられた人と90人の幸福な人がいたとする。
快適度の最大値を100とすれば、快適度合計は0 * 10 + 100 * 90 = 9,000。
虐げられた人が多様性によって快適度が80まで上がったとする。それにより90人の快適度が95に下がったとしたら、快適度合計は80 * 10 * 95 * 90 = 9,350。
つまり、「90人は多少不快になったが10人の快適度は大幅に上がり、社会全体の快適度も上がった」という状態になったということ。
政治が考えなければならないのは、10人の快適度を80にするために、90人の快適度を80まで下げなければならないような場合(快適度合計は8,000)、そのような多大な犠牲を多数に課してまで10人をすくうべきかどうかということ。そうすべきという結論なら、すべしってことだね。
多様性= (マナーやルールに反しなければ) 他人に干渉するな!が最適解
つまり、「90人は多少不快になったが10人の快適度は大幅に上がり、社会全体の快適度も上がった」という状態になったということ。 多様性とは「みんなが快適な世界」ではなく「...