時は侍ならその胸三寸で人を殺してもよかったような時代
侍 「お前は死にたいのか」
町人「死に」ここで町人袈裟斬りにされる
町人は「死にたくない」と言いたかった
しかしせっかちな侍は「死に」の時点で「死にたい」と続く以外の可能性はないと判断してしまった
こういう場面でも「生きたい」と言っていれば死を回避できたかもしれないけど、とにかく日本語にはこういう危うさがある
英語なら死にたいときはYesと始まるだろうしそうでないならNoと始まって、つまりしょっぱなの音から両者で異なるので、どんなにせっかちな人間が相手だとしてもこういった勘違いで殺されることはない
日本語改良したほうがいいんじゃない問題でした
Permalink | 記事への反応(1) | 13:40
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日本語じゃなくて侍の精神の問題だろ
現代社会でも命に関わるほどではないが類似の問題はあるんじゃないか? 相手の発言が一呼吸つくまで意味は確定しないものとして待つのは基本だと思うけど、果たしてみんながみんな...