どこで聞いたとも、誰から聞いたとも知らず、しかしいつしかそんな話を私は知っていた。
しかし、そんなことがあり得るだろうか、と考えた時に一つ頭をよぎることがあった。
それは私が賢者になった時のことだ。
『30歳まで童貞でいれば魔法使いになる。その前に、25歳まで童貞だった時点で“賢者”になる』
そんな話も、いつしか私は知っていた。
そしてちょうど25歳になった時だったかはともかく、私はかつて、確かに賢者になった。
自ら“賢い者“を名乗るのはどうかと思うだろう。
私はかつて愚者だったのだ。
愚かな私はこう考えていた。
「いつか当然、自分も誰かを愛し誰かに愛され想いを遂げる日が来る」と。
愚かさを気づいた私はその側面においてあの時確かに賢者になったのだ。
これは正しかった。
その側面を除いては愚かであり続けたことの代償として。
いい加減そのネタもいろんな意味で時代遅れじゃね? そういうネタ言説が広まることでサブリミナル的に負い目を刷り込み生きづらくなる人がいっぱいいると思うんだよ
時代遅れってどういうこと? 社会の維持が困難なレベルで”いない率”が上がってきた時代に合わせて、童貞は普通のことだと言った方がいいの?
普通かどうかは分からんが、高齢でそういう経験がないことを茶化したり自虐したりする雰囲気を社会が内包していること、が時代遅れかな というかそういうパーソナルな性生活をネタ...
ある程度性生活も大っぴらに話せる世の中がおおらかでいいんじゃない。 性を恥ずべき物にすると、性教育の正確な知識だってまともに共有されないよ。
昭和と平成初期がそんな感じ
いやそれは話を捻じ曲げすぎやろ
記事の主題が「賢者になった経験」なんだったら 最後の自嘲は余分だよね