差別だのなんだのの問題が延々ぐだる原因は閾値を数値化してないことだと思うんだけどどうなの?
例えば「一人でも嫌がる人がいれば改めるべきだ」みたいなことを言う人がいるけど
あらゆる物事には一人や二人嫌う人は絶対存在するので、これを解決するためには人類が絶滅するしかない。
(自分の嫌いなものは改めるべきだが、他人の嫌うものには対処が必要ないというのは論外)
人類が絶滅せずにやり玉にあがった物事に対処していくには、対処すべきかどうかの判断が必要で
嫌がる人がいるというような感情面を根拠にするのであれば、それが閾値を超える人数存在しているかどうかで判断すべきなのでは?
閾値を何人にするかはまた別の議論が必要になるが、「私が嫌だと言っている」とか「数字には出てこない暗数がある」とかそういう主張はシャットアウトすべきだ。
だから俺は他人のことをわかろうとせず人の嫌がることをやり続けます!ってことですね