今思い返すと、祖母はお礼を巧みに使う人だったのかもしれない。
祖母はお礼をよく言う人だった。それこそ、街の清掃員さんにもお礼を言う人だった。
大人になり、祖母のお礼の使い方は、人を動かす最高の言葉なのだと感じるようになった。
それこそ、街の清掃員さんにお礼を言うと、不思議とその日の清掃は丁寧にされている。
お礼をされると言う事は、その分だけ期待と「貴方の行動を見ている」と言う、監視の役割が生まれる。お礼された側は役目を全うしなければならない、ちょっとした呪いにかかるのだ。
もちろん注意とは違い、お礼が縛るのはちょっとした行動になるが、毎日続けるとその効果はより大きなものになる。
今日は私のマンションに清掃員が入る日だ。清掃員は若い男性。だから、私は控えめな笑みでお礼を述べる。私は根っからの綺麗好きなのだ。