客観的に証明できない物は共有することは不可能で、従って総体的なものになどなり得ない
個人の幸福は各々ベクトル違うし、そのベクトルの向きを証明できない以上は一致不一致は分からない。
従ってベクトルが違う個人の幸福は想像するしかなく、自身の好悪の影響をダイレクトに受ける。また、その想像した他人の幸福同士のコンフリクトが起こった時、どちらを優先するかという重み付けにも自身の好悪が多大な影響を与える。
どこにも客観的要素はなく、そして総体的になり得る要素もない。
善悪とは形を変えた君自身の好悪に過ぎない。他人には無価値だ。
Permalink | 記事への反応(1) | 21:45
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なにかしらの状況に対して個々人で感じる感情を一定の区分に区分けできないと考えるのは困難でしょう。 また幸福同士のコンフリクトについての各々の強度が善悪なのだと言っている...