相手の論を把握してそれに対する対案を出すには高度な知識も技能も必要であるが、実際のところ乏しい知識と雑な論理が目につく。
雑な議論は、言うのは簡単だが誤りの訂正にコストがかかる非対称性があるので、雑な議論をするくらいなら黙っててくれと思うことがたびたびある。
が、「なにかを感じた」という気持ちの表明をする権利は誰しもあるし、そこに紐づく論拠が薄く雑なものだろうと、この世の知識すべてを網羅できる人間がいるわけはないので結局知識量の多寡は相対的なもので、それを理由に他者の口を閉じさせることはより多くの知識を持つ者に従うことになるだけである。
ままならない。
Permalink | 記事への反応(1) | 06:38
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雑な人が自分は雑ではないと信じ込んで「僕を批判するのは雑なやつだぁ」と連呼するのもよく見るので…