実は「不寛容なことに対して不寛容である」こと自体の問題ではなさそうである。
間違った言動やそれを行った人間に対してを少しのことでも許さないゼロトレランスな潔癖性、それからくる偏狭、傲慢を批判されているである。
ゼロトレランスな潔癖性そしてそれにともなう二重基準こそが現代リベラルの課題。
ゼロトレランスという言葉自体は保守批判に使われているが。
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