2017-11-12

考えるということは途轍もない苦痛なのではないだろうか。

最近思うのである

「一晩じっくり考えてみろ」というのは「一晩中マラソンで走り続けろ」というのに等しい苦痛他人要求しているのではないかマラソンの得意な人にとっては、可能なことであっても、近くのコンビニに行くにも車を使うような体力のない人にとっては、耐え難い苦痛なのではないかと。

「1時間でもいいから集中しろ」というのは「1時間ずっと反復横跳びを続けろ」というくらいの無茶を要求しているのではないか

そう考えると、「おまえは何も考えなくていい、俺を信じろ」という言葉の途轍もない有り難さが理解できる。俺だって一晩中マラソンを続けるくらいなら、魂を悪魔に売り渡したほうがマシだと思うからだ。

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