「自信を持て、もっと堂々としろ」と言われても自信を持って生きる方法が分からない。
でも、みんな揃って「自信を持て、堂々としろ」と言う。
考えてみれば昔から自信がない。
何をやっても褒められず、失敗すれば怒られ、「お前は人の三倍努力しないと追いつけない」と言われ続けてきた。
気を利かせて、良かれと思って勝手にあれこれやったら「余計なことをするな」と言われてきた。
そうして今、もうすぐ社会に出るような年になって、自信を持て、という言葉に悩まされている。
自信なんかない。自分の行動はどれも必ず悪手だと思っているし、どんな行動も必ず怒られることとセットだと感じている。どんなに良い行動を選択できても怒られると思っている。
だからなのか、行動を考えるときはだいたい必ず「一番穏便に済む方法(怒られない方法)」を考え、ただそれをこなす。目的が達成されればそれで終わり。余計なことはしない。言われたことだけ。
なんとなく、このままではだめだとは思っている。でも変え方もわからない。このままだと適応できずに死ぬんだろうと思っている。こんな頭に生まれたくなかった。もっと要領よくて気楽にものを考えたかった。常に最悪の場合を考え、それでもまだマシな方法を探すのはもう嫌だ。マシなだけであって、怒られることからは逃れられない。
自信って何なんだ。私って何なんだ。なんで生きてるんだ。
俺が増田を信じてやるよ。 だから増田は、増田のことを信じる俺を信じろ。
「俺が積極的に行動しないことで物事が好転する」という自信を持ち、控えめに生きよ。 「自信を持つ=ポジティブに動き回ること」ではない。