2016-08-21

鼻濁音が聞き分けられない

いや、自分では発音できるのだ。

全く自覚はなく、人に指摘されて始めて知った。

つの間にか身につけていたらしい。

確かに「学校が、ダイキライ」とかいときの、最初の「が」と途中の「が」では、違う発音の仕方をしていた。

鼻をつまんでみると、最初の「が」は発声できるが。途中の「が」ははなから空気が抜けなくて変な感じになる。

で、自分発音はできるのだが、人が鼻濁音を使っているのかどうかが、いまひとつ聞き分けられない。


世の中には「鼻濁音は美しい日本語なのに、なくなってしまうのは残念だ」とか「最近アナウンサーは鼻濁音がろくに使えない」とか

言う人もいるらしいし、

声を使う職業を目指す人の中には、苦労して鼻濁音を訓練していたりもすると聞く。

実際、指摘してくれた人は「美しい」とかいってくれたのだが、なにせ自分が聞き分けられないので、価値が分からないし

なんだか訓練してまで身に着けている人に申し訳ない感じだ。

実際のところ世間の人たちは、鼻濁音って、どれくらい聞き分けてるんだろう?

  • 鼻濁音って東北の方々の訛りに残ってるって聞いたことある。 訛りって、人から指摘されても気付けないものだし。 鼻濁音ができない人は分かるんじゃないのかな。

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