ネットで「きれいなコード」「美しいコード」とか「汚いコード」「ヘタなコード」みたいな話をすることがある。
雑談だから、なにをもって「美しいコード」とするかとか、そんな細かい話はしないで漠然と「きれい」「汚い」と言うのな。
そうすると、それに反応する人は自分のなかの「美しいコード」のイメージでコメントしてくるの。
で、よくあるのが「美しい・きれい・うまいコード」は「ひとりよがり」だっていう反応。
「すごいんだけどテクニックに走ってわかりにくいコード」みたいな。
「うまい」とか「美しい」と聞いて、真っ先にそういうイメージを思い浮かべてネガティブな反応をする人って、自分がコードを書けないことによっぽどコンプレックスがあるんだと思うわ。
「自分はうまいコードを書かない。それは読みやすさを優先してるからだ」って普段から合理化してるんじゃないのかな。
ある程度以上にコードの書ける人は「美しいコード」と聞いたら普通に読みやすくて素直なコードを思い浮かべると思うし。
なんだか悲しいよね。
なんだか勝手に悲しんでるけどそれだったらどんな流れになって欲しいのか最初に表明すべきだな。定義の話がしたかったら定義の話をしませうとあらかじめレールを敷いとかないお前...
悲しいポイントは、ヘタなコードしか書けない人が「自分はあえてこういうコードを書いてるんだ」って自己欺瞞してるところで、話の流れとか雑談で言いっ放しだから別にどうでもい...