言葉は簡易になっていく性質のものです
なるべく口を動かさないで済む言葉が生き残るものです
これまでも有名なところで言えば「くゎ」という音がなくなったり、「い」と「ゐ」の区別がなくなったりしてきたではありませんか
ですからラ抜き言葉もすごく→すごいの変化も伝統的な作法に則ったものであるとも言えるのです
コミュニティによる言葉遣いの違いもまた愉快なものです
伝統的な言葉を維持しようという努力のほうがむしろ不自然であるということも言えます
それに、上流階級の人間のほうがこれまでもおかしな言葉を捏造してきたじゃないですか
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