学校で学んだこと。
いじめられている奴がいじめの首謀者に反撃すると、周囲から激しく非難される。これは秩序を乱す行為だから。
いじめがある空間では、それが普通の事となる。それを変えようとすることは平和への挑戦とされ、反撃はテロリズムと同列に扱われる。
いじめをする奴の暴力はなぜ見過ごされるのか。それが制御された暴力だから。いじめ>いじめられという絶対服従の関係で一方的にふるわれる暴力だから、「秩序だっている」。それは平和とも言い換えられる。
いじめられている側がそれに反撃を試みると、暴力のベクトルが乱される。矢印が逆になるだけだが、いじめる側が圧倒的に人数が多い。覆される矢印の数も多い。だから乱れが大きいと判断される。そもそも暴力やいじめが間違っているという判断はなぜか下されない。繰り返し行われる事には適応してしまっているから。
言えるのは、どんな残酷な行為でも、それが定期的に行われると生活の一部として慣れてしまう。だから人に被害が出るような事はそれ自体が「日常」にならないようにしなければいけない。