2014-02-21

「虚無」という希望こそが自殺本質

自殺によって失われる最も大きなものは”自分という観測者の存在”だろう。

自分という観測者、主観消失によって同時に失われる物は余りにも多い。

まず、自分が死んだあとに起こるありとあらゆるものを気にしなくてよくなる、

なぜならそれは肉体を失った自分が知覚することが出来ないものなのだから

更に、主観消失により振り返ることが不可能になるために実質的過去も失われる。

もちろん、自分主観的に失われるだけだが未熟な過去を思い出しうなされることはもうなくなるのだ。

過去未来、この2つが一度に無くなる事のメリットは余りにも大きい。

自分人生のものがもはや自分の目から見ればどこにも存在しなくなるのだから

自分人生がもしも全てチャラになったら、そう考えるだけでワクワクとしてくるものがある。

この「虚無」に対して抱いてしまう、期待感希望、それこそが自殺本質なのだと今さっき気づいた。おわり

  • たいしたこと言っていない(僕個人的にはだけど)のに難しく書こうとする人ってなんなんだろう 自殺は自分という存在を失います それによって嫌だった過去と未来が 存在しなくなる...

  • 「死ぬ気になればなんでもできる」 「これからいいことがあるかもしれないから死ぬな」 と言ってる奴らにはこれがわかってないのよ。   なぜなら、やつらにとって人生はプラスだか...

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