求めても得られないものだと理解している。
しかし、2次性徴を迎えた後は、男に父性を求めたとしても、関係性の見返りに性を求められることが透けて見えたので、信実その存在を得られるわけではないことに気が付きやすかったのではないかと思う。
他人の女に母性を求めることは考え付きもしなかった(父と違って存在はしていたから)。代わりにぬいぐるみに「お母さん」という名前を付けた。
今は、パートナーの選択を誤ることよりも、
将来 子を持った時、我が子が父親から愛されているのを目の当たりにしたときに、嫉妬し虐待したりはしないだろうかと不安に思う。
今も心底にあるわだかまりを、我が子を愛することを代償行為として解消できればいいが、うまくいかないことも容易に想像できて、とても怖い。