2013-02-28

分かりやすさにおける脚色の扱い方

分かりやすさを追求すると正確さをそぎ落とさなくちゃいけなくて、

正確さを追求するとわかりやすさをそぎ落とさなくちゃいけなくなる。

まあ「正確だし分かりやす物言い」というのもできるのだろうけど、

その物事を相当突き詰めたうえでわかりやすく説明するための努力も相当しなければならんのだろう。

そう考えると門外漢に何か自分が詳しく知っていることを伝えようとするときには、

多少なりとも嘘というか脚色をまぶしてあげることになるのだろう。

しかしどうにも正確さをそぎ落とし切れずに、正確ではあるけれど微妙に分かりにくい表現をしてしま性格なのだ。誰が?俺が。

両取りができるほど頭は回らないし頑張る気にもなれぬのでとりあえず分かりやすさを優先したいのだけど、

嘘をつくのがへったくそな性分ゆえか脚色をまぶすことにどうしても抵抗感がある。

物事を説明する際に程よく枝葉末節を切り捨てて誇張を織り交ぜ食べやすいモノにできる人というものになりたいようななりたくないような・・・

場合によって使い分けられる人であったり、正確さとわかりやすさを兼ね備えた説明ができる人になれればよいのだけど、なかなか難しいよな。

そういうオチ相談もない話でしたとさ

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