前田敦子は「パーツを見れば整っている」と評される。
「そのパーツの配置が狂っているのだ」と。
さて、このあいだアイドルの集合写真を見ていて、私は気付いた。
誰を見ても、どこかしら前田敦子の面影を感じてしまうのだ。
おそらく“共通部品”が前田敦子を想起させているのだろう。
可愛いと思っていたアイドルの顔に、不意に前田敦子がオーバラップする。
そうすると、不思議なことに、
「こいつ実は可愛くないんじゃね?」
という疑念が湧いて出てくるのだ。
「パーツは良いけど配置がおかしいような…」
「トータルで見るとそれほどでもないような…」
そう思ってしまう。
ゲシュタルト崩壊みたいなものかもしれない。
世の「雰囲気美人」たちは恐怖しているのではないか。
前田敦子の存在は、パーツ配置の狂いを、残酷なまでに浮き彫りにする。
ウイルスのように、前田敦子は男たちの認識に侵入し、それを狂わせていく。
これは恐ろしい呪いである。
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