グローバル化とか地球市民的視点とかそういったものが広がることと、多様性や境界線がなくなる流れが加速していることとでは、同じことを指してるのかな。
個人的には様々な多様性や境界線があることを受容する姿が、グローバル化ないし地球市民的視点をもつということだと思っていたんだけど。
グローバルスタンダードなんていう価値観も、収斂された末の判断力の欠如とでも言うべき結果だと思ってたんだけどな。
確固としたものを創りだそうという流れのことをグローバルスタンダードと呼んでいたのかしらん。
ああ、でも考えてみれば確約されたものを生み出すほうが生産的ではあるよね。経済的だし計画的だし、野心的かつ理性的だ。
誰が好き好んで多様すぎる価値観の海に飛び込もうというのか。でも、カオスティックな社会基盤こそ民主主義の健全な姿だと思うけどな。
その混沌の上に立つ人々が、それぞれ主張しあい、闘争したり競合したりするのが一人ひとりが考える政治であり、社会なんじゃないのかな。
そんなのは面倒だけど。