「してはいけないから」という理由を言うと、まじめぶっているとか偽善的とか何様だと思っているのかだとかその他雑多なよくわからない批難にさらされる危険があるからなのだろうか、時に方便として、あるいは内心をぶっちゃけた体裁という効果を狙って、あることをしてはいけない理由を「私がいやだからよ!」などと言うフィクションのシーンや現実の場面に遭遇する。
しかし、やはり原点としては、ルールや倫理(感)から「してはいけない」と思うからダメなのである。
ルールや倫理(の感覚)はもちろんミクロでは個人のもつ感覚ではあるが、それは決して個人的ではない。まして誰かの趣味や好みではない。曖昧で移り変わっていくものだとしても確かに存在している。すくなくとも無視できない。また完全に個人的レベルに落とし込むこともできない。