なぜ私はあのとき、あんなしょうもないことで、あれだけ絶望して
今のとんでもない、まさに絶望するべき状況で、これだけ平静を装っていられるのだろう
それでいて、今も昔も同じ、得体の知れない苦しみを頭の中に飼っているような、そんな感覚
苦しみに対する
接し方が変わった?
いや、私はいつも私の苦しみに対して
限りない愛を注いでいたはず
その気づかぬ変化はまるで、大人が自分の子供の成長を見守る態度の推移のような自然さで、
だから、私はいつからか私の苦しみを「育ててきた」のだと考えるようになった。
私の世界に対する関心は日々薄らいでいくようで、私の世界に対する信頼は日々強まっていく。
私の世界という藁になんとかしてしがみつこうと必死で手を伸ばしても
ずぶずぶ埋もれて、さらに見えなくなるだけだけど、そこになにかあると思ったらしい私の周りのバカな人間たちが
どうにかして掘り起こそうと、スコップやらなにやらいろんな道具を持ってきてはすっかり私に協力する気満々でいるのだ。
やめてよ、もう藁すらないかもしれないよ?
そうだ、藁を隠してしまえばいい。
もっと、もっと、深いところで埋もれるように、
味気ない無機質な日々を積み重ねていけばいい。