いやそーじゃなく
男子の間でも無闇な共感性が親しさの証みたいにされてんじゃんよ
てこと
「やっぱおれたち気があうよなー」「なー」
女の主張「生理が来ないんだけど?」
ほとんど実際の社会の調査もなしに自分の頭の中のことを書いてる感じ
社会に対してメタな視点を持ちたい持ちたいってのはわかるけどなんかりくつをこねまわしてるだけで
実証が全く出てこない
ナントカ社会とかナントカ革命とかそんな言葉を作り出して流行らせられればいいなとかいう感じだけ
何なの、社会学ってみんなこんな感じ?
宮台何とかな人なんてほとんど思い付きばっかりでひどいこと言ってたとしか思えないんだけど
散々考えられててきたテーマだけど自分なりに経験を元にまとめてみた。
お互いにとって必須の存在にも関わらずそこにはまるで他の生物種であるかのような溝があるように感じる。
まあようはお互い理解しがたい行動習性というか特性があると思う。そんなの他人であれば誰しもであると言う意見はもっともだけどそれは脇によけて。
男女間の会話についてまとめて見たいと思う。
基本的に男は競争、女は協調である。少なくとも表向きの傾向としてはこれが好まれる。
男の会話は比較が許されるが女の会話では許されない。
ここを勘違いして男女で会話をすると死ぬことになる。
分かりやすい会話を生成してみた(悪意はないこともない)。
男同士
「OOっていいよなー」
「そんなことなくね?おれはXXのほうがいいな」
女同士
「OOっていいよね?」(←この段階ですでに同意を予想してる。求めてる。)
「あ!わかるわかる~。」(←大げさにトーンをあげて!)
男女
やばい回答
女「OOっていいよね?」(だいたい同意できないもしくはどうでもいい事柄について)
男「そんなよくないだろ。」(完全に否定。さらに口調がぞんざい。)
女「ええ・・・?そうかなぁ~私は言いと思うんだけど。」(かなりへこむもしくは怒り出す寸前の状態)
男「だってOOってXXでXXじゃん。」(必要だと思って理由を述べてるかもしれないけど、女からしたらどうでいい。」
女「・・・・・。」(ブチキレもしくは半泣き)
男「あれ?なんで怒ってるの?」(まじでわからない。自分の意見を言っただけなのに)
→死亡
まずいがかろうじて耐えうる回答
女「OOっていいよね?」
男「そうだね~^^でもおれはXXも好きだな~」(笑顔が大切。テンション高めに。肯定しつつ提案)
女「・・そうだね!たしかにXXもいいよね!」(場合よっては若干不満に感じている場合も)
男「やっぱ女ちゃんはOOみたいなのが好きなの?」(あくまで相手のことについて尋ねる」
女「そうなの!OOってやっぱ~~だから(続」
→生存
ベストアンサー
女「OOっていいよね?」
男「そうそう!俺もそう思ってたんだ!」(とにかく笑顔で力強く肯定、実際どう思ってるかなんて関係ない。)
女「そうなの!OOってやっぱ~~だから(続」
男「そうそう!俺もそう思ってたんだ!」(とにかく笑顔で力強く肯定、実際どう思ってるかなんて関係ない。)
女「わかる~?やっぱ男君って私のことよくわかってるなぁ^^私たち趣味とかも合うし!」
男「そうそう!俺もそう思ってたんだ!」(とにかく笑顔で力強く肯定、実際どう思ってるかなんて関係ない。)
→ハッピーエンドかどうかはしらない
以上になる。みんなもだまされたと思って実践してみて欲しい。
重たげなまつげのむこうの目の奥をいくら覗けどどこまで踏み込めるのか見当がつかない。
教えてえらい人…教わるもんでもないのか?
やることやれとかはなしな。
もうげんきゃい
盗まれた自転車を見つけたらどうすればよいか。110番通報して、警察に来てもらうのが正しい。
素朴な質問なんだけど
2人の言い分を聞いて〜をするっていうのは、裁判所の機能のように思えるんだけど
本当に泥棒かどうかは、裁判をして有罪になるまでわからないよね?
まずは次のような状況を考えて欲しい。
問題:
ある日、あなたは駅前に自転車を停めて出かけたところ、誰かに盗まれてしまった。
次の日、あなたは近所の庭先に盗まれた自転車が停まっているのを見つけた。
これに乗って帰ることは違法だろうか。
答え:
違法。
解説:
直感で考えれば、「自分の物を取り返して何が悪い」と思うかもしれない。
しかし、これこそが『暴力装置』の基本であり、近代法の基礎である。
『暴力』といえば、誰かを殴ったり、銃で撃ったり、もうすこし大人しいところだと、相手を怒鳴りつけたり、そういう場面を思い浮かべる。
しかし、法学での『暴力』はもっと範囲が広い言葉で、「相手の意に沿わないことを強制させる力」くらいの意味だ。
たとえば駐車違反の罰金も、国民の財産権を、国が侵害するのだから、『国家の暴力』ということになる。
あなたが盗まれた自転車を見つけて、そのまま乗って帰ることは違法である。
法律に詳しい人なら、窃盗罪だとか占有離脱物横領だとか思いつくかもしれないが、
ここではそれがどんな罪になるかは考えないことにしよう。
とにかく、罪になるということさえ覚えておいてくれればよい。
なぜ日本の民法がそれを罪としているのか、基本となる考え方を説明してみよう。
かつての日本では、盗まれた物を奪い返すのは罪ではなかった。
公正な裁判など期待できない時代である。自らの権利は自分で護らねばならなかった。
「神は正しき者に力を与えるから、決闘すれば正しき者が勝つに違いない」など、無茶苦茶な理論がまかり通った時代もあった。
こういった考え方を『自力救済』と呼ぶ。
自力救済は裁判よりずっと迅速だ。
しかしこれでは「力こそが正義」となってしまう。弱者は抑圧され、ヤクザがはびこり、200X年、世はまさに世紀末となってしまう。
そこで近代法では、『暴力を振るってよい者』を決め、それ以外の者は暴力を使えないことにした。
『暴力を振るってよい者』を誰にするか。
もともと強い者たちに割り当てるわけにはいかない。そんなことをしたら、より弱者の抑圧が強まるだけである。
では、弱者に割り当てればどうか。弱者と強者が入れ替わるだけで、抑圧が続くことは変わりない。
つまり、あなたが駐車違反の罰金を支払わなければいけないのは、国民であるあなたが「駐車違反をしたものは罰金を支払わなければいけない」というルールに同意したからだ。
もちろん実際にその『暴力』は、国家に雇われた警官や軍人が振るうのだが、『暴力』をコントロールしているのは国民であるあなた自身である。
駐車違反の罰金が高すぎると思えば、選挙でそういう意見を持つ政治家を当選させるか、あなたが立候補して、法律を変えればよい。
そろそろ締めくくろう。
盗まれた自転車を見つけたらどうすればよいか。110番通報して、警察に来てもらうのが正しい。
そうすれば警察はあなたと泥棒の言い分を聞いて、正しい持ち主の元に自転車を返すだろう。
警察が暴力装置であるからこそ、泥棒から自転車を取り戻せるのである。
しかし実際には、国家が『暴力』を独占しているからこそ、ヤクザの理不尽な暴力におびえることなく、私たちは安心して暮らしてゆけるのだ。
もっと考えてみたい人に:
自衛隊を指揮しているのは内閣総理大臣です。これをシビリアンコントロールと呼びます。
シビリアンコントロールの考え方を説明してみよう。
嫌がらせや当てつけをして、同僚を鬱病へ貶めた方がよく同じこと話してて、
よくそんなこと言えるなーって思っていたのを思い出したので、書いてしまいました。
悪意とか敵意とかネガティブな感情を振りまくと、そういったことを振りまく方とご縁ができるそうですね。
まあ振りまかれたら、こちらも振りまいちゃう気持ちも分からんでもないですが。
喫茶店に入って、
「コーヒー or オレンジジュース」が付くセットメニューを注文して、
無いと思うんだ。
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たとえば化学者が、
居酒屋に入って、
「ここにある酒はすべて低級アルコールだ」
とは言わないと思うんだ。
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たとえば、
の違いを厳密に突っ込んでも、
しょうがないと思うんだ。
もうそれは、
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一見した感じでは専門用語に見えなくて、
一般的な解釈とズレを生じるものがあって、
(まっとうな)専門家は、
そういう言葉を使う場合に紛れないように気を使っていると思うんだ。
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あるいは誤解されたまま広まってしまった専門用語というのがあって、
(まっとうな)専門家は、
これらにも同じように気を使っていると思うんだ。
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自分の発言がマスメディアに載る可能性が強いと感じている人は、
そこらを知っていたはずだと思うんだ。
つまりは、立身出世をあきらめる、と。