2010-05-10

http://anond.hatelabo.jp/20100510212436

目的分からんからなぁ。

自分にとっての質の良い文章を求めるのならば、自分の基準で判断すればいい。

では、不特定多数の人に対して、文章の中から質の良い文章を提供することを考える。

例えば、誰もが等しく文章の質の良し悪しを判断できるのであれば、どこかの誰かが判断すれば、

それは全ての人にとっての質の良い文章になる。

まあ、それはありえないだろう。根拠はこの辺にしとく。私だって判断できない。

http://anond.hatelabo.jp/20100509122508

理由その二。人間は相手の頭が良すぎるとその人の頭の良さを理解できないから。

だとすると、質が良いと感じる文章は個々人に差があることを意味する。

また、文章の中から正確に質の良い文章を選りだす機械があったとして、

フェルマーの最終定理やら何やら難しい論文でも質の良い文章と判断するだろうこの機械は、

不特定多数中の人の一人と等しいと考えられる。個々人に差があるためである。

人を全て集めて文章の質を求めさせ、全員が質の良い文章と判断すれば、

それは誰にとっても質の良い文章となるが、現実的に不可能だし、全く文章が残らない可能性もある。

妥協して、300人ぐらいの人に求めさせれば、1万人程度の人にとっては、おおよそ質の良い文章となるかもしれない。

しかしその文章の質が良いと、自分が判断するかどうかは別問題。

記事への反応 -
  • 世の中で言う馬鹿という言葉の定義ほど当てにならないものもない。 馬鹿と天才は紙一重とも言う。 馬鹿扱いされてるけど実は天才だったということも少なくない。 理由その一。天は...

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