BI推進派はその実装方法として、負の所得税方式を採用することにほぼ賛成だと思うんだけど、異なる思想的起源について教えて欲しいです。
・同じ機能の製品があるのであれば、液晶テレビはブラウン管式テレビに劣る
・パソコンが、研究者及びオタク等の物でなくなってから、まだ10年しかたっていない、故にその期間より業務に携わる人間はパソコンは使えなくとも不思議ではない。
・使いにくいモノでも慣れてしまえば、それが最良である。
・小物といえど、業務に使う道具(主にExcelの定型ワークシートとかファイルメーカーで作った適当なDB)は、最も扱いの不慣れな人に合わせるべきである。
電子書籍をダウンロード購入する場所を書店に限定…光和コンピューター、電子書籍市場参入示唆
http://www.asahi.com/digital/bcnnews/BCN201002150011.html
また頭の悪そうな企画を・・・
他人が何か言ってもあんまり聞きませんよ。
「お前がそう思うんならそうなんだろ お前ん中ではな」
御自身も元罹患者なのですから御解かりでしょう。
既に相手の中にある部分で、かつ言語化されていない部分を刺激しなければ
いかなる言葉も芯には届きません。
議論をして論破されることと、納得させられる事がイコールじゃないんですよ。
自分が論破する側だと、そう思わない癖に。
「この宇宙はなぜ存在しているか」
という問いに約5年つきまとわれた。
結論からいえば、解はなし、もしくは無数に存在する。である。
数学の問題におきかえると、
0×x=1
の解である。
この答えの真偽はともかく、普通に日常生活を送れるようになったことがとても大きい。
結局のところ、
自ら生み出した問題が解けずに日常生活にだいぶ影響が出てしまった。
もう少し早く答えが出せればよかったのにと思う。
なんせ、これ以外の解があると信じていたので、
もうそうなると哲学者になるぐらいしか道はないと思っていた。
同じような問いにぶつかり、日常に支障が出ている人にこれを言ったら
どういう反応が返ってくるのだろうか
嫌われている人というのは大抵、
自分が嫌われているということに気づいていない。
自分も相手も楽しくおしゃべりしていると思っているのだ。
これがあるために、
自分が興味ある人に、友達に、
男でも女でも積極的には話しかけづらくなる。
なぜなら、彼らと話している時、
どうやら自分も相手も楽しくおしゃべりしていると思えるからだ。
この「嫌われていることが分からない恐怖」
をなくすにはどうすればいいのかわからない
おまえは逝くメンだ!
私はあなたのことが好きです(性的な意味で)。
あなたが声をかけてくれたらきっとホイホイついてゆくでしょう。
いつだったか軽い女にはなりたくないと言いましたが、今はそんなこと思ってません。
軽い女で結構。
是非声をかけてください。
あなたが他の女の子と楽しそうに会話してる姿を見るたび、言いようのない嫉妬を感じます。
本当はあなたのこと、本当の意味で好きなのかもね。
認めたくないからそんなことは言いませんが。
あなたにたいする態度が甘くなるのは許してください。
好きって言えない分、そのくらいは目を瞑ってくれると有り難いです。
甘やかしてくれるあなたが好きです。
相談に乗ってくれるあなたが好きです。
私からは言いませんがとても好きです。
でもずっとそれには気付かないふりをし続けてください。
今くらいの距離感が楽なんです。
そしてもしよかったら、声をかけてください。
金を稼げる、稼げないを基準に置けば、稼げない人から見たら、稼げる人が稼げない人に「同じだよ」というのは受け入れがたいだろう。
好きな研究が出来る、出来ないを基準に置けば、いくら稼いでいても、大学に残って研究をしている人が羨ましいだろう。
http://anond.hatelabo.jp/20100216014856 で主張したかったのは、「勉強が出来る」人が「稼ぐ」という基準で語られるのは変だという事だ。
勝ち組、負け組という定義だって、何かを基準に考えているからだ。
その「ある軸で優秀な人が、他の軸でも優秀であるべきだ」という価値観が、我が身の人生を振り返るときに邪魔になっていないか?というのが主張したいことだ。
お金を持っていた方が幸せな"ハズ"だ、要領が良い方が人生楽が出来る"だろう"、学歴は年収に反映される"べき"だ、などは推測や願望であって事実ではない。
そして自分の基準で他人を語るのは良いが、その軸で「他人がこう思っているはずだから自分はそれに反発する」というのは単なる被害妄想だ。
そうじゃない。学歴にしろ、金にしろ、何にしろ。
何かを持っているヤツらと言うのは、持っていない奴から見れば、羨ましいという事だ。
学歴も無く、金も無い。 それが、努力叶わない貧乏な家庭だったからとか、
親がゴロツキヤクザだったからと言う奴らもいる。
そういう人に対して、お持っていないとか、同じだとか言うこと自体がおかしい。
持っている奴は、少なくとも、自分が多かれ少なかれ持っている人間なんだと言う自覚は持つべき。
それが無いなら、無配慮といわれても仕方がない。
ことさら地をはうありに配慮せよということではない。しかし、上には上がいる発言は少なくとも無配慮ではないか?
そしてまぁ、日本に生まれた僕らは多かれ少なかれ、難民や紛争地帯に生まれた子供よりかは持っている。
すくなくとも、それには自覚を持って感謝しないといけないという事は忘れちゃいけないと思った。
戯言だな
「そういう連中」から反論させてもらうと、ぼくら別にそんなこと思ってない。
まぁ、ぼくが「そういう連中」なのかどうかは疑問があるので、その辺は差し引いて考えて欲しいのだけれど。
別に、ぼくらみたいに「カネに換える」って方向に能力を活かさなかったとしても、
それは本当に「差異」だとしか思わない。もっと言えば、ぼくらは彼らに結構コンプレックスがあったりする。
ぼくらとて、割りと「学問」に執着があったりもしたわけだ。
しかし、現実的にその道は見返りが少ないし、あるいは喰えなくなる可能性もあると見越して、
云わば打算的な判断の元に、金融の世界に身を放り込んだわけだけれど。
真っ直ぐ学問に向かう人間を馬鹿にするなんてことはまずない、あるとすれば
ぼくらはほぼ例外なく(日銀や政投銀の連中は除いて)アカデミズムに「挫折」しているから
やっかみ含みのそういった言説は出ているかもしれない。でも、ぼくらが基本的に一度、その道で「折れた」
人種であることは、ぼくも認めるけれど明らかだ。
それは本当に「差異」でしかない。
そして、もしも優劣をつけるとしたら、「カネにはならないけれど好きな研究をしてる人」が