夏頃、片想いをしていた。
朝まで3人で飲んで、川の字で寝た。
また朝まで3人で飲んだ。
その次はエヴァを見に行った。
ご飯を食べて、おとなしく帰った。
その次はサマーウォーズを見に行った。
なんだか帰りたくなくて、朝までバカ話しながら飲んだ。
好きなのかもとか思い始めてた。
会えると思うと週末がとっても楽しみだった。
でも、彼が話す「理想の彼女像」は自分とはとてもかけ離れていた。
「かわいい子」「賢い子」「甘えさせてくれる子」
そして「○○ちゃんは、友達だから気がねなく飲みに誘える」と繰り返し言われた。
つまりは、やんわりと断られていたのである。
「好きなのかも」と思った瞬間に、だ。
そのうち彼の仕事が忙しくなり、疎遠となった。
その間に、ひょんなきっかけで恋人ができた。
なぜ付き合ったのかというと、自分を好いてくれるからだ。
自分から好きになることに、もう疲れてしまったのだ。
だから、「好き?」と問われるたびにちょっと胸が痛む。
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ある日、二人で飲みに行こうという話になった。
俄然、テンションは上がった。
恋人にはもちろん言わなかった。
そして、彼にも恋人ができたという話は一切しなかった。
予約されていたのは、とても雰囲気のいいお店だった。
所謂カップルシートだったのは偶然なのかどうなのか。
「それっぽい雰囲気」にならないように、
ラストオーダーを告げられ、店を出た。
まだ飲みたい。話したい。
そう思ったので誘ってみたら、また乗ってくれた。
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個室の居酒屋。
最初は向かい合って座っていたのに、
何かのきっかけで隣に座ってきた。
「彼氏早く見つけろよー」と言う。
恋人はすでにいるが、そんなことは言えない。
居心地の良いこの関係を壊したくない。そう思ってしまった。
「○○ちゃんは可愛いよ」
「○○ちゃんは賢い子だと思うよ」
やたら褒めてくる。今までそんなこと言ってなかったのに。
冗談なのか何なのか、「一人で寝るのさみしい。腕まくらしてよ。」と言われる。
もちろん恋人には言わない。
帰り道、私の肩に頭を乗せて「あー、いいなー」と呟いていた。
===
分かってる。
そんな中で、さみしい気持ちが出てきて、
そこに都合よくいるのが私だった、それだけだと思う。
私を好きになってるわけがない。
彼はただ「だれか」に甘えたいだけだ。と。
しかし。しかしだ。
私は彼が好きだ。
===
そこで激しく悩むわけだ。
「自分が好きになった人」を取るのか。
「自分を好きになってくれている人」を取るのか。
答は出ない。
時の流れに任せてみるか。
えがちゃんも随分長いことono_matopeに粘着してるな。
やっぱり恋ってすごいね。ここまで人を頑張らせてくれる。自分も恋したいなあ。
普通の人なら、少し冷たくすると距離をとってくれるのだが、そうではない人がいて困る。
しゃべりたくないからしゃべらないのに、しつこくしゃべりかけてくる。
「あなたとはしゃべりたくない」と意思表示をしても、それでもしつこくしゃべってくる、アピールしてくる。
こんな人を一体どうすればいいんだろう。
とてもうざくて、ストレスフル。
あーなんとなくわかる。
自分も100人ぐらいまでは有名人フォローしてたけど、コメント来る訳でもなく、ただROMってるだけになっちゃうんだよね。
お前がこれから就職するなら、楽しみはほとんどない
それがお前の働く楽しみになるだろう
お前がこれから進学するなら、通学しながらバイトをしろ
社会人と接する機会が(特に職場で)増えれば、社会人の仕事というものがわかってくる
そして大卒で就職すると、何年か後に責任ある仕事を任せられるようになる
自分の工夫やアイディアが大きな成功に結びつけば、仕事がかなり楽しい
なんで学生の時はあんなにケチってたんだって思うくらい金を使うのが楽しくなる
超楽しい
おくってみたけど帰ってこなかった。どれだけ送られてきたんだろう。
「サラリーマン」て枠組みで考えるのは大雑把過ぎるんじゃないかしら。
サラリーマン全てに共通する、普遍的な楽しさみたいなものは多分ない。
個々の職種に応じた、その職なりの「楽しさ」はありそうだけど。
予備軍は予備軍であって犯罪者になるかどうかは分からないよ?
傷つけたくはないもんだが、俺は痛い自分を振り返りながら成長するよ。
死ねと言われても更正の余地はまるでないわけじゃないし、本来、そういう若気の至りはもっと前の段階でするものだと思っていた。
今更だけど、そういう星に生まれたんだから、俺が死んでわびるしかないし。
お前らのいうように「ガス室で間引くような政策か、強制収容所にぶち込んでその中で学び合うしかないんじゃね?」とはおもう。
実際にやったらゲスだのなんだの言われるかもしれないから実装されないシステムだろうけど。
カンジに落ち着きつつ有ります。
「掘り下げ過ぎたら絶対に良い事は無い」というのは昔の人の知恵ですがね。
「愛と文化は”気付かないフリをする事”を粋とする」と物の本で読みましたけれど。
因に「オタ」は未だに誰に対して物を言っているのか全く解らないまま、
ただ漠然と使用され、聞く人に依っては傷ついたり、自己愛が満たされたり、
あるいは同時にそれらが遂行されている訳ですがね。
不思議と『オタ=オレ説』(「オタ」を総て「オレ」に差し替えて読むと意味が理解出来るという説)
は定着しませんです(汗・ここは第一匿名ブログですので定着する訳が無い。)
そんな事より「ウットリ度が高い」のはそりゃぁ『アフロ・ディズニー』で読みましたけれど、
冒頭にある
19世紀では芸能文化を通じ、エレガントな社交に興じていた「大人」達が、
21世紀ではホームシアター、コンピューターネットワークの内に引きこもる「子供」に成った。
では20世紀に一体何が有ったのか?
ですね。「疑似人文科学」と言うより『狂気の歴史』ってな質感なので是非是非。
〜T.H.
サラリーマンつっても千差万別ってことだよ。それぞれあるんで一言じゃ言えん。
非コミュも経験積めば空気読めるようになるって信じたいよな
だから、元増田には、キモオタが異性とのコミュ二ケーションを学ぶための練習台になってもらうしかない
大変だろうけど、あらゆる手段を使って気付かせてやってくれ
ってことだな
「涙が出るくらいくだらなくておもしろい」
と一時期再評価されたことがありましたけど、作品そのものは当然おんなじなんですよ。もう発狂しそうなくらいつまんないんです。おもしろがってやれ、と妙なベクトルからアプローチして観るから再評価できただけであってね。封切り当時は劇場で暴動が起こったらしいですから。あんまりな内容に(笑)つまらないものはやっぱりつまんないんですよ。墓石がボール紙なんでちょっと俳優が動いたら自然に倒れたりとか、椅子とカーテンしかない飛行機操縦席とか机と無線機しかないUFO司令室なんていう安物のコントみたいなセットの前で俳優が棒読みしてるとかね。んで集音マイクが影でしっかり映っているという(苦笑)墓場から出てきたゾンビが延々2時間近く盆踊りを踊るだけだとかね(爆笑)
こんな冗談みたいな映画ばっかり作ってきた監督を、ヘンな部分から再評価されたからって