事実婚10年継続中の自分としては個人的には事実婚で相続とか扶養とかの権利を法的に保証するっていうことでも全然かまわないんだけど、そもそも相続とか扶養とかについての一定の権利を保証するのが法律婚という制度だと思っているので、事実婚でもその辺を保証するならそれは法律婚と何が違うのか?という気がする。
普通の個人が持つような株数だったら名義変更に数百万もかかったりしませんw
なぜ数百万になるかというと、創業時に額面価格で出資した分が上場による株価の値上がりで膨大なキャピタルゲインを発生させてるからでしょ。
今度、その人と二人で映画に行く。
もし、好きな人が男性だったら、けじめをつけるため彼氏がいるのに映画なんか行かないだろうし、その気持ちをきちんと見極めて、場合によっては彼氏と別れ話をすることになっただろう。
だが、生憎と好きになったかもしれない相手は友達の女の子だった。
その友達とは、一番の親友とか、長年の付き合いとか、そういうのでは全然ない。
だから、彼女にもおそらく他にもっと仲のいい友達はいるし、私にももっと付き合いの長い友達はいる。
ただ、キツめの性格の子が多いバイト仲間の中で、人当たりの柔らかい彼女と一緒にいるのはとても居心地がよくて、その人間性に惹かれた。
大学での専門分野が近いこともあって、最近はよく二人でバイト上がりにご飯を食べに行って、色々話し込む。
一緒に映画を見に行くことになったときは、思わず声が震えた。ついさっきも、彼女のことを考えていたら思わず涙が出て、ああこれは困ったな、と自覚するに至った。
実は、今までも何度か、女性に好意のような感情を持ったことはある。
そもそも、初めて「好きかも」と思ったのは、女子校の運動部の先輩だ。
けれど、思春期に同性に対して恋愛にも似た感情を抱くことはよくあると聞くし、周りにも「○○先輩格好いい」などときゃあきゃあ言っていた女の子は多かった。
また、それ以降の「好意」も、恋愛関係の愚痴を言う友人や、振られて泣いている友人を見て、「守ってあげたい」「私が彼氏だったら泣かせたりしないのに」などと考えて友人の隣に立つ自分をちょっと妄想したりするくらいの軽いものだった。
だから自分でも、いわゆる「なんちゃってレズビアン」みたいなもの、或いは友情の意味での「好き」を取り違えているのだろう、と分析して、それ以上深くは考えなかった。
考えないようにしていた、と言った方が正しいかもしれない。
とにかく、自分は異性愛者だということに疑いを持ったりすることなんてなかった。
そもそも、人と比べて私はそう惚れっぽい方ではない、と思っている。
彼氏とはもう3年を越える付き合いになっているけれど、彼氏の前にも後にも恋愛感情を抱けるような男性は現れなかった。
今は付き合いも長くなっているので、恋愛のドキドキ感よりは家族や親友にも近い安心感がある。
そんな相手を失いたくないからといって、彼氏とはこれまでの付き合いを続けつつ、好きな人とデートしてドキドキ感を楽しむ、なんていうことは不誠実なのではないか、と悩んでいる。
仮に好きになったのが男性だったら、それは世間的にも非難されることだろうし、私の価値観としてもどうも許せそうにない。
これが好きになったのが女性だから許される、というのも何か変な話だ。
かといって、新しく好きになった女の子とどうこうなろうという気は全くない。
好きになった女の子にもやっぱり彼氏がいるし、話を聞いているととてもいい人そうなので、彼女には是非その彼と幸せになってほしいと思う。
とは思いつつも、彼女が恋人とデートした話や、彼女が他の女の子と仲良くしているという話なんかを聞くと、どこか胸が痛むし、嫉妬のような感情すら覚える。
これは表に出してはいけないものだと割り切って、ニコニコしているように努めているけれど。
好きになった彼女との付き合い方にも悩むけれど、「もしかしたら女性が恋愛対象になりうるのかもしれない自分」を発見して、自己認識が揺らいでいる。
これからどうしたらいいのだろう。
夫婦別姓とか、何世代も後はどうするんだろう?って話。何家なのかわかんなくなっちゃうでしょと。もともと、そういう概念のシステムなんだから。
それをやめるなら、もう、姓名をやめて
名前だけにして好きな物を名乗れば良いことにして、
つけたくない人はつけなければよいし、
どっかの国みたいに全部の性をいれた長い名前もOKにすればいいよ。
そうしたコストを回避したい場合、結婚しなければ良いのでは?と思うのです。
戸籍法はいじらずに、扶養や相続など、そちらの方の法を整備しなおした方が、
全体としてスムーズなのではないでしょうか? 事実婚の扱いを変えるということです。
そんなことはないよ。
音楽や絵画の世界では、努力をスキップしていきなり作品が作れる人という物が存在している。ただ、たいがい他の人としての機能が阻害されていたりすることが多いけど。
そういう世界ですらそのランク=本当の天才は限りなく少ないって事。
若くて優秀な人からベテランで優秀な人まで それなりに見たし、一緒に仕事させてもらったと思うけど
大抵は、努力型の方だったよという結論。
増田が天才と思う人に実際に聞いてみて、その人たちが、いや俺たち努力なんてかけらもしていない。と回答して実際に、
その通りなら、そら天才なんだろう?
http://sankei.jp.msn.com/life/lifestyle/091001/sty0910010338000-n1.htm
家族の絆が壊れやすくなるから、夫婦別姓導入に反対するとの立場だそうだが。
以前、自民党の高市早苗氏らは、婚姻前の姓を通称として旅券などの行政文書にも使用できるようにする戸籍法の一部改正案を示した。別姓を目指す法務省案より、はるかに現実的な提案だった。
高市案には賛成らしい。
でもこの案って結局のところ生活上・行政手続き上は別姓を使うということだろ。この場合夫婦が同姓であることが表出されるのは、戸籍謄本(戸籍抄本)をとったときぐらいのはず。それ以外の名前が出てくるほとんどの場面は、別姓の状態ということになる。そんなわずかに限定された状況での「同姓」の状態が絆が壊れるかどうかに関係するのか?
高市案より法務省案の方が絆が壊れやすいとの主張の根拠がわからない。
http://www.nikkei.co.jp/news/main/20090920AT3S1901019092009.html
もともと、ここまでやるつもりなのだと思います。
夫婦別姓の議論をずっと追っている人であれば、戸籍法にも触れざるを得ないことも当然わかった上で、さあどっちだろうね、
となるのが普通だと思うのですが、はてなブックマークなどの議論を眺めていると、どうもそうはなっていない。
「賢い左翼(右翼) VS. 馬鹿な右翼(左翼)」という罵倒合戦に問題を落とし込んで、騒ぎたいだけの人が多いように見えます。
別姓推進派の人は、「家族の絆(に変化があるはずがない)」という論点で話をするのが好きのようですが、もう少し視野を広げるべきだと思います。
個人的には、ものすごい労力をかけた挙げ句、大して有益な変化は起こらないという気がしますので(通称ってそんなに不便ですかね?)、
夫婦別姓には反対です。「職場で便利です」程度の権利のために、結婚という制度の意味を変えたり、戸籍法にまで手を入れることにメリットを感じない。
いろいろな意見があるとは思いますが。
いつの間にか俺が「努力を認めない人」になってるのがよくわからん。
要するに、増田にとってはこれが信念(検証不可能だけど正しいと信じていること)で、それを曲げる気は全く無いっていうだけの話だよね。
その人は知らないけどIPAの未踏ソフトウェアの人は何人か知ってる。
ものすごい優秀であることは認めるけど、天才ではなくみんな秀才だよ。
1年で5840時間の差 10年で約58416時間の差 8時間努力した人間1年分で2年勉強してる。
たとえば、単純計算で
10歳からプログラムを初めて15歳で1日16時間の人がだいたい同じスキル。
6歳からプログラム初めて、16歳なら実に前者換算で40歳相当のスキル保有。
こういう状況で30や40の人が16歳の人を見て、すごい天才だとかいうのはおかしい。
これって、単純スキルだけの話じゃなくて、脳みそを訓練してる時間ともいえる。
1日16時間絶えず脳みそを使ってる人と、そうでない人の脳みその発達が同じとは思えない。
天才って言うのは、こういう、秀才の上を行く人のこと。
1日16時間 3歳ぐらいから、音楽を始めた 人たちが天才と認める音楽家が天才。 同じように
1日16時間 3歳ぐらいから、プログラムを初めて40歳ぐらいになった人が、16歳ぐらいの人を見て、おれの何十倍もすごいと評価したら、それが天才。
でも、そのクラスはいまだ見たこと無い。
わかるようでわからん。
男が、女の浮気には不寛容だけど男の浮気には寛容なダブスタさが批判されてんじゃなかったっけ。
妻から見ても、夫がセックスしてる他の女が妊娠した時点でそれは自分の子じゃないというのは確定だろう。
リスクの差。
夫が浮気してよその女と子を作った場合,妻はその子の母が自分ではないことを確実に知っている。
妻が浮気してよその男と子を作った場合,夫はその子の父が自分ではないことが(遺伝子検査でもしない限り)なかなかわからない。
って、社会的にみなされるもので、決して自ら進んでなれるものではないんだよなあ。
けれども、例えば経済的な自立とか参政権の有無とか酒煙草が呑めるとかそう言うことじゃない、自意識的に認められる大人ってなんだろうって考えてしまう。
どうなんだろう。自分で、自分に納得できれば大人なんだろうか。納得してしまったら大人になってしまうんだろうか。
少なくともこういうことを考えている時分では、まだまだ青いのだろうと思う。
そりゃ単に若くなくなっただけ
これ、好きこのんで実質戦時下のイラクに行ってゲリラに掴まって穴蔵の中心でノーコイジュミを叫んでた奴らとやってる事の構造は同じだよな。
http://www.itmedia.co.jp/enterprise/articles/0802/13/news015.html
例えばこいつとかかなあ
ていうか、「天才はいない」と思えることが信じられない。よっぽど優秀なのかな?
いや、いまの30代40代で、いわゆる一線で活躍している人は
U-20の頃にアセンブラやCつかって
OSいじくったり、デバイスドライバ書いたり、ゲーム作ったりしていたわけだよw。
でも、それをみても、別に天才だとは思わなかった、単なる努力家だとしか。
努力でカバーできる範囲だよ。1日8時間~16時間、それ以外をすべて犠牲にしてやればできるレベル。
1年みっちり勉強すれば、当時で言えばデバドラぐらいには手が届く。天才でも何でもない。
大抵この業界の場合
天才と呼ばれている人は、実際はよく見てみると異常に練習時間が長くて人生の大半をつぎ込んでるレベル。
僕はこの業界に関してはそう思ってる。
中には、何の勉強もしないでスラスラ作れる人もいるのかもしれないけど、ぜひ見てみたい。