今年の梅雨はとても長い。けれども、雨量の少ない梅雨になんの魅力があるんだろう。雨は降ってこそ雨たりえるのにな。
「認める/認めないという話」は、これまでのやり取りで出てきた、「自分を認識して欲しい」ということを話題にしたかったわけで、
意識が開いている時というのは、自分以外の世界(他者とか)を認める/認められることが出来る状態で、
意識が閉じてしまうと「小さな世界」で完結した状態になるので、「小さい世界」を「大きい世界」と混同しちゃって孤立するから
意識を開いておく必要がありますよ。
「認める/認めないという話」が「自分を認識して欲しい」という話題をさしていることは分かっていたから大丈夫。「意識の開き」に関することも、把握いたしましたよ。
その上で、以下の文面に対する考えをば。
意識の状態にかかわらず、「小さい世界」同士あるいは「大きい世界」との間は
干渉しあう関係であるという見方なのかな。
うん。そう言うものだと私は思っているよ。なるほど、これが私とあなたの差異だったわけだ。
どうすればうまく表現できるんだろうか、突飛な喩えになるけれども、個人的に「小さな世界」は川における水分子のような存在だと思うんだよ。
で、「大きな世界」は、下降していく流れというか、河川の形そのものなんだよね。
だから、ひとつの自我としての「小さな世界」が完璧に閉じていようが開いていようが、流れの前ではどうすることもできないし、隣り合う水分子の影響を受けざるを得ない。
一方で、絶え間ない「小さな世界」の奔流は道しるべとしての「大きな世界」を削り続けていて、いつも形を変容し続けている。
そんなものだと、私は考えているわけなのでございますよ。
波形と共感の話題について。
逆位相で打ち消しあうことはままあるだろうと思うよ。人はそれぞれ違うから。
打ち消して、共鳴しあって、時には全然形が違うのに増幅しあったりして、関わりあっていくんじゃないかなあ。
アニミズム的精神になるのかもしれないけれどさ、やっぱり土地や物体が存在することからも人は影響を受けるし、物体同士でも互いに影響しあっているんじゃないのかな。
うーん、難しいね。その通りでもあるけれど、それだけでもない。
私は土地や物体が存在することにおける世界に、二段階の視点を持っているわけなのね。
つまりは、「意識」や「命」などの個体数レベルでの概念と、積み重なった「意思」だとか織り上げられた「精神」みたいな、総体としての「小さな世界」を見ているわけなのです。
九十九神ってあるじゃない。
そこに神が宿っているのかどうかは分からないけどさ、外部にある無数の「小さな世界」と変わり続ける「大きな世界」から影響を受けてきたんだもの。
始めは空の器だったかもしれないし、微々たる世界しか持ちえていなかったかもしれない。もしくは、作り手の意識のみが込められていたのかもしれない。
けれど時を経ることによってさ、やがては総体としての世界になっていくんじゃないかと思うんだよね。
……動物は自我としての「小さな世界」が強すぎるから、存在として発する波形だけでなくても思いをそのまま相手に伝えることができてしまう。
言葉や刺激、肉体的表現など、細分化されたが故に、意図を明確に示唆できすぎてしまう手段をたくさん持っいると思うんだ。
だから、なかなか総体としての「小さな世界」になることができない。もちろん、それが悪いってわけではないのだけれども。
ただ、そうだからこそ人は、総体としての世界を持ちえている自然や音楽、芸術などに惹かれていってしまうのかもしれないって思う。
癒しや安らぎを求める心理も、似たような原因から来ているのかもしれない。
うーん、ここまで書いてみて気づいたけれど、「大きな世界」の立ち位置が曖昧になってきてしまったかな。再考しなくては。
コミュニケーションは重ねることに意味があるんじゃないかな。一度で伝わらなくても、二度目で十分理解することができたんだ、何を思い悩むことがあるんだろう。
繰り返したっていいじゃない。にんげんなんだもの。
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