2009-07-29

http://anond.hatelabo.jp/20090728081719

今日中にレス書けるか?!

確かに小さな世界自分から見た主観的な世界ではある。

ただ、そこに映るものを自分主観によって決定するわけじゃなくて、そこに映るものの“意義”を自分主観によって決定するものだと私は思っているのです。 

自我たる私は、窓の外を見て他なる存在を認識する。そこで決められているのは、その存在の意味だとか、私にとって何であるのかということだったりするのね。

だから、存在自体をどうこうできるわけではない。私は他者としての世界を見た瞬間に、最早存在を認識せざるを得なくなってしまっているわけなんだ。

例えば、あなたは大きな世界を「意識的に見ない/見えていないことにする」ことは可能だと述べたけれども、これにしたってすでに存在を認識しているから可能なことでしょう?

私が私を意図的に誤魔化すことができるのは、対象となる存在を認識しているが故だもの。対象がなければ、私は何をすることもできない。

で、存在を認識したからには、私は対象を分類しなくてはならない。にんげんだもの。認めるのもいい、誤魔化すのでもいい。とにかくカテゴライズするわけだ。

するとどうだろう、私は私という小さな世界の中において、認識した外部の存在の立ち位置を決めることになる。

世界関係し、繋がらざるを得なくなると思うんだよね。

そこです。

窓の外に見える対象を「私」がどう意味づけするか。

その一点に置いて、自分から見える世界の有り様は決まると思うので、

自分主観により決定される」と言う言い方をしました。

「何が見えるか」までを自分で決める必要は無いのです。

そういう意味では、厳密には意識を閉じた状態でも外の世界の影響は受けている。

だから、言葉の使い方を誤っていたのは私だったかな。

 

自分を主体とした時に、「何に意味を見出すか?」という視点で考えると

意識を閉じた状態においては、世界意味付けするのは自分の視点しかないわけです。

意識を開いた状態では、「他人の意識による意味付け」を考慮する必要が出てくるので

自分視点ではこう見えるけど、他の人は違う捉え方をしているかも」という発想が生まれる。

使い古された言い方をすると「思いやり」

 

自分視点にこだわり過ぎてるかな?

 

増田さんから突込みがあったが、「内包」の言葉使いには私も違和感を感じた。

たぶん、窓の概念で大体イメージはあってると思うのだが。

大きな世界のうち、見える範囲だけを小さな世界のものとして受け入れ/認識するということかな?

 

増田曰く

人は、大きな世界を、小さな世界カテゴリー(いわば窓)を作る(別記する)ことでしか認識できないのだと思う。カテゴライズこそが人間認識方法なのだと。

だれしも全を知りたいという欲求はあるが、しかし、同時に本能が全を直接認識できないと知っているのだろう。

窓の概念はすごくしっくりくるけど、

本当に全てを知りたがっている人なんているかねぇ?

本能が正常に機能する人は知りたいことを知れば満足するという意味かw

 

総体について。

人も土地なども等しく外界の存在を内包するけれど、人は分類して敷居を作ってしまう。土地とかはそういったことがないように思うんだ。

だから、自我としての小さな世界と、外界から取り込んだ他者としての小さな世界が混合し始める。

その総称として「総体」という言葉を用いたんだ。謂わば、小さな世界でありながら、大きな世界を内に秘めているような感じ。

微妙にわかるような気もするけど、危うい概念のようで不安感があるなぁ。

内包=概念化と言い換えられるなら、分類=言語化って言い換えても良いのかな?

総体というのは、意識による範疇化をせずに、小さな世界=大きな世界となるとなるようにそのまま受け入れる感じ?

 

漫画鋼の錬金術師)からの引用になってしまうけれど、「一は全、全は一」という言葉がある。

理想系なんだ。目指す世界観としてさ。

私はありのままの存在をありのままで感じてみたい。小さな世界でありながら大きな世界となって、境界なく全てを俯瞰してみたい。べつに理解はしなくてもいいんだ。

溶けてみたいのかもしれないなどとも思ったりする。

境界のない世界観というのは、己の存在すら認識できない(自分世界の境界が不明)と思うので、

「これ」を認識しているのは何者か?というパラドックスに囚われてとても怖い思いをすると思うのだけど。

自分が溶ける感覚は多分恐怖ですw

 

あ、日が変わった。

記事への反応 -
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