http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20081123-OYT1T00455.htm
同補正予算案の審議に協力するとした小沢氏を麻生首相が「信用できない」と評したことについては、「チンピラの言いがかりみたいな話で、一国の首相として情けない限りだ」と批判した。
首相問責決議案については、「ないとは言えない。福田前首相が辞めたのは能力に限界を感じたからだ。麻生首相は福田氏以上にひどい」と語り、今国会提出に含みを持たせた。
んー。なんだかなあ。
国会途中に入院したり、入院したと思ったら大移動して選挙運動してるような人に言われたくもない気がするが。
〜の方がひどいんだ。えーん。かまってよー。みたいな論議はもう良い。
麻生の言葉に問題はあるのは確かだが、正直それに対して小沢が当てになるかと言えばそうじゃないから国民は困ってるんだよ。
わかってないなー。
「今の時代」って言うけど、「昔の教師」を神格化するのはジジィみたいで危険だよ。今も昔も教師のスタイルなんて変らないと思う。戦後にも70年代にも不良教師だって居たはずだ。
体罰って「肉体的に痛覚を伴う攻撃手段」だけじゃないと俺は思うんだけど。
体罰を受けた人間が将来、誰かに体罰をふるうことに何の躊躇もしなくなる可能性は高いし、それが必ずしも正しい方向で行使されるとは限らないよ。
この前の荻野の事件でもそうだったけど、教育思想を込めたつもりの叱責が実はただのイジメ願望によるものだということだってありうる。
自分のストレス発散のために体罰という名の愛の鞭思想を利用する奴は必ずでてくるけど、そうはさせない方法があるなら体罰を容認してもいい。
「科学」という言葉の定義字体は科学的には決められず、多くの人がどういう意味で使うかで決まるものだから、科学と疑似科学を区別しろという主張が科学的になれるはずがない。文化と科学を分けるべきということ自体ナンセンスと思う。
体罰容認論がうじゃうじゃ出てくることからしても取り上げられないなんてことになってないと思うが。賛成派の意見で埋め尽くされない限り取り上げられないといい続けるんだろうけど。
政治運動とか言論の自由自体他の価値観への批判は含まれるわけで、それすら押し付けというのは拡大解釈しすぎなんじゃなかろうか。政治運動自体他人が巻き込まれることを前提にしてるわけだし。疑似科学批判批判だって他人に対して行う以上なんらかの影響は与えるわけで押し付けかどうかの線引き自体が恣意的に感じる。自分がする批判は自由だが自分がされたら押し付けだと決め付けてるとか。
「どっちがマシか」って論理だよ。その昔、更生施設を自称した、とあるヨットスクールが親から委託された子供を秘密裏に殺害するビジネスを行っていたことがあった。(何かの福本マンガに出てきた「人間学園」みたいなもん)
体罰にある種の尊さみたいなものを求めていた時代だったので、そこを逆手にとって悪いことに利用しようとする輩は必ず出てくるんだよ。
そのヨットスクールは摘発されはしたんだけど、体罰容認派の文化人や政治家たちが持論を通すために事件を利用した。センセーショナルだったからね。単なる殺人事件が教育問題にまで結び付けられて、結果一部の層では体罰は必要悪だという声も出始めた。こうなってくると同じような私塾が今後現れ、仮に摘発されたとしても「社会が護ってくれる」とタカをくくって同じ悲劇を繰り返すに違いないんだよ。
「体罰は何が何でも厳禁」ってことにするとあんたみたいな被害者も出てくるのだろうけど、「体罰は尊い」という風潮になるとより多くの死者が出てくるんだよ。どっちがマシですか、となると、まぁ普通は前者だわ。残念だけどあきらめてくれ。恨むなら、そのヨットスクールだろうな。
「科学」というのは理論それ自体というより、ある未知の対象に挑んでいく際の方法論のことを指すのではないか、というのはよく思う。
http://anond.hatelabo.jp/20081123114055
相手は3人のグループだった。我慢の限界に達した俺は、自分でそいつらを殴った。
いや、正確には3人のうち、一番弱い奴を殴った。ジャイアンではなく、スネ夫的なポジションのやつ。
それが発覚したとき、先生は俺を褒めた。よく勇気を出したな、と。いじめもなくなった。
でも俺は、心の底から自分を惨めに思った。
元増田よ、お前にこの惨めさがわかるか?
俺は暴力によって自らを救った。だが、そのことがいかに自らの魂を傷つけるか、お前は知っているのか?
おそろしい法律が可決されようとしてます
日本の根幹に関わる非常に危険な法案が国会で通ろうとしています。
「『児童ポルノ』を所持さえしていれば、逮捕」 という『児童ポルノ禁止法改正案』です。
これにより日本人は誰でも現行犯逮捕させるようになってしまいます。
■方法はとても簡単です。
1.ある人物について、「児童ポルノを持っている!!」と訴えます。真偽はどうでもいいです。
2. 児童ポルノを送り付ける。あるいは、子供がお風呂に入っている写真なんかを忍び込ませるといいでしょう。
3.そうすると、例えその人が児童ポルノを持っていなかったとしても現行犯逮捕することが可能になります。
現行犯逮捕ですから、逮捕状は必要ありませんし、誰でもできます。
例え中国人だろうが、朝鮮人だろうが、不法入国者だろうが現行犯逮捕をすることが可能です。
4.例え逮捕の対象が児童ポルノを持っていなかったとしても、逮捕した人が児童ポルノだと強弁すれば、逮捕は成立してしまいます。
■無実の罪で逮捕されたところで、大したことはないのでは?
一度逮捕された人は、後に無実が発覚した場合でも社会的に復帰し、名誉を回復することは極めて困難になると予想されます。
その容疑が、児童ポルノという重大な性犯罪であればなおさらのことです。
日本の有罪率は99.9%なのです。
■どうにかできないの?
児童ポルノの定義をより厳密化し、所持が故意であることを客観的な物証で証明できることのみを罰則の対象とし、
なおかつ、刑事訴訟法から私人逮捕の規定を廃止しなければなりません。ほかにも、必要なことはいくつもあります。
しかし客観的な証明なども一切必要なく、抜け穴だらけのまま通ろうとしているのが現状です。
足がかりに、コピペ改変のテストをしてみたが、まだまだうまくいきません。
まだまだ、あまりに未完成すぎるので、まずは叩き台です。
国籍法改正案の時もなんだかんだ言って、多くの国会議員が反対に駆り立てられたのですから、
児童ポルノ禁止法改正問題でも十分に応用できるのではないかと思います。
これから問題になるのは、児童ポルノ禁止法改正問題だけではないので、
創作物規制用のパターンや、ネット規制、ダウンロード違法化についてのパターンも考えていかなければ
ならないと考えているところです。
法案が本格的に審議される前に、このコピペを完成させて、国会議員を揺り動かせたらと思います。
国籍法改正案で「日本が乗っ取られる!!」とは自分は思わないが、そのロジックが議員をも動かしたのは事実。
2つ目の26増田です。
流れを読んで笑いました(笑
同時にこんなアホ相手にしてた自分に冷めたんで俺はお暇しますorz
言いたい事は大抵ほかの人が言ってるようなのと、
3ヶ月前までのうちだ。うちはようやく施設に入れられた。施設というのを考える事自体が苦渋だったんだけど、問題はその苦渋のあとにじゃあ入れようとしても受け入れ先がどこも満杯だったこと。1年待ちでようやく入れられた。だから増田に言っておく。とにかく早く行動しないとダメだ。
毎日、「疲れた」「もう老人ホームに預けようか」と話をしているのを聞くと、
カフカの変身を思い出さずにはいられない。
外側で起きたことか、内側で起きたことかという違いはあれど、
虫=痴呆症
という構図だ。
どんなときもいつも優しく迎え入れてくれた。そんな祖母が大好きだった。
ザムザの場合、体は変わっても彼自身の中ではしっかりと考えることが出来ていた。
しかし、良かれと思ってした行動も、酷い外見のあまり相手には受け入れられず、結局害虫のような扱いを受けることになった。
祖母の場合は体は同じでも、しっかりと考えることが出来なくなってしまった。
外側の変身だったら自分は受け入れられていたのだろうか。
自分には、今の祖母を受け入れられる自信はない。
でもそれを押し付けられてもなあ。みんながその思想でなきゃならないってこたないだろうに。思想と他人を巻き込まない行動自体は自由でいいからさ。
科学哲学では、何を科学とするかの論争が続いている。 どこからを科学とし、どこからを疑似科学とするのかを決定する境界設定問題(線引き問題)がある。この問題について詳細な探求を行った代表的なグループがウィーン学団である。ウィーン学団は、論理実証主義を用いて既存の科学を検証した。その結果、「あらゆる理論の中には、必ず未実証の部分が含まれている」ため、存在する全ての科学は「最終的には疑似科学と区別ができない」という結論に達した。
良い上司をいつまで信じてた?
なんてふざけるな!
いつからいなくなったんだよ!
いいか、トムデマルコの心を受け継いで、
これからは君たちが良い上司になるだよ!
まるで常識人みたいにいうやつには
正面から目を向かっていってやれ。
「おれが良い上司だ」と
「わたしが良い上司だ」と。
みんな良い上司になろうよ。
でかい、でかい上司になれ!
生き方の話かと思ったらここ二日間の話かい!
いるとかいないじゃなくて「なろう」とか「作ろう」とかっていう能動的な発想を持とうぜよ。