コストを計算したものです。
マックで働いたことがないのでよくわからないのですが、おそらく同じだと思います。
(家賃を本部が負担するプランもあるにはあるのですが、もっていかれれる率が46%ぐらいになってしまいます)
都市部のほうはどうか知りませんが、マックもモスも注文するごとに作る体制となっていたはずです。
おそらく、ロスはそれほどでないと思います。
いやね、世の中っての「普通」ってのは野次馬の親族クオリティなんだよ。
親しい人の死を悲しんでいる人の視点ってのは「普通」に収斂されるべきとは思わないし、
「どんなことがあっても暴力はよくない」という視点に立つのなら、そういう周囲を受け入れるしかない。
それがどうしても嫌だっていうのなら、警察沙汰とか世間体とかを振り切ってでも(制裁されるのを覚悟で)自分の思いを通すしかないってこと。
書けない書けないって思ってると、
どんどん自分を追い詰めるだけだぞ。
書かれた文章なんて、所詮屑。
本当の文章は書く前から自然に生まれてくる。
増田が「書けない」「書きたい」って頭抱えても無理。
無理やり書いたって、そんなものは増田を何も救ってくれない。
ただ、もしかしたら、増田があせるあまり、
生まれてくる瞬間を掴み損ねているかもしれない。
余裕と瞬発力。そしてノリが大切な。
書きたいことが溢れて溢れて、周りが一杯になって
大変だった事もあるだろ?
今は少し休憩しろって事じゃないのかな?
のんびり釣り糸垂らしているといいよ。
何を今更。
元々テンプレだよ。
BLが商業化されて、増えた新しい読者層が
目新しく感じただけ。
っていうかBLって呼び方が生まれる前から既にテンプレ。
モニタの向こう側の奴がどれだけ葬式を出しているのかを一切想像せず、一度も葬式を出していない前提で書いている奴がいるんだな。
別に怒っちゃいないが。
世の中そんなもんだし。
それは葬式が死者のものでなく、遺族家族のものでもなく、一族のものってことだろう?
じゃぁ増田がどうのこうの言う筋合いのもんじゃないってことじゃないか。
増田のルールを通すならどんな手段を使ってでも排除すべきだったし、
大人のルールを通すなら増田にごちゃごちゃ言うなってこったろう。
どの視点にコメントしろっていうんだよ。
増田がどの程度の男なのかは分からないけど、
昔から繰り返しているということは増田に原因があるんじゃないか。行動しているだけマシだと思うけど。
よくあるのは「身分不相応な女性に惚れている」ということ。これはもちろん顔や見た目だけの問題じゃない。
内容を見てても思い込みが激しいように思うから、精神的な余裕がないんじゃないかな。
ちょっと頭を冷やしてみて、なんでその人が好きなのか、自分にはなにが足りてないか考えたことある?
純愛的な思い込みの激しい人に限って、例え付き合えたとしても大事にしすぎて何も出来ずに振られたり、
逆に理想との乖離に逆上して暴力的になってしまったりしてしまうことが多い気がするしなあ。
付き合ってみなければ分からないことは多すぎる。
最初は軽い始まりでも、どんどん好きになっていくって事なんかザラだし。
極端に言えば、最初の気持ちが重いと、ある意味それ以降は落ちていくだけってことにもなるしね。
「書きたいことがあるから作家になるのはいいけど、作家になりたいから小説を書くのならやめろ。
いや、書いてもいいんだけど人に見せるのをやめろ」
って言ってたのを思い出した。
「書くことから卒業した」でいいじゃん。
まず最初に「人を見る目」って感覚が無い奴がいることに驚いた。
最初の打ち合わせで「生花を出す」って声を荒げる奴がいることで、心構えが出来ると思ったけど
お人好しで言いがかりを付けられてる最中はオドオドして何も言えず、
全部終わった後に怒りをぶちまけて全部他人の責任にするんだね。
一番可愛そうなのは亡くなった人だ。
男は黙ってTZ
文脈上(アブスト云々が出てきて以降で、僕がどれを書いたかは以前示した)、元増田が書評をしたかは争点でないから、その自分なりの読み方は外れる。
次に、君は書評を書いた人の属性を挙げて「どれが信用に足りるか」とかいってるけど、それは的をはずしてる。私が言ったのはそんなことじゃなくて「知識」の問題。
信用足りえるには、その人の「知識」レベルがあるかの判断が先行するのだから、その程度のことは内包されている。
そのレベルで素人目にも明らかな間違いを多くしでかしてるらしい。そんな本が学術的な意味で信用できると思う?んなわけないでしょ。
ということはブログで書いて批判すればいいんではなかろうか。「らしい」ではなくて元増田の解釈で。「らしい」から抜け出して自ら判断するには同等の判断能力がないといけないだろう。
もうひとつひっかかるのは、「学術的な意味で信用できると思う?」の部分。信用するものじゃないし、それは鑑定人によるのかな。そういう監視の目が行き届いていればいいけど。
今のところ元増田が言っているのは、「学術レベルの能力があると見なされる人がある間違いを指摘している」ことに根拠なく同意しているだけである。現段階では。
ちなみに、
「トンデモ」と呼ばれたくないのなら「エッセイ」なり「フィクション」なりと名乗って満足すべきってのはわかるよね。そういうこと。
僕も読んでいないので言うのもなんだが、もう少し前に書いたけどローマ人と同じくエッセイレベルだと、なんとなく、思っているので、ガチの学術レベルでの論争なぞ望んでいないのではないかとは思うし、そうすることは無粋なのかもしれない。無味乾燥な世界史の教科書とローマ人を比べても。
「らしい」と言っているだけでは、例の学術レベルの人に追随する「ビリーバー」との区別がつかない。そこを聞いているんだけど。何度もね。
僕は元増田に「学術レベルの人のことを、学術レベルで理解できて、批判できるか」かどうかについて聞いているのであって、今のところ「学術レベルの人の言うことを、学術レベルでは、完全かどうかは不明だが、理解はできないにもかかわらず、何故か正しいと信じている」の段階で留まっている。ただ真の学術レベルの能力を持たなくてもなんとなくわかる、ということに関しては少しは同意はするのだが、それに見合った「知識」を元増田が持っているようには見えないもので。あるならあるで自分のブログで書いてくださいな。
男にはせめてゼロシャーシを使ってほしい。
嫌な奴をぶん殴って(葬)式を台無しにしたくないという弱みをつけ込まれただけ。
弱みを持つってことは、他人の介入を拒否できない、ただそれだけのこと。
警察沙汰になって前科がつこうが母の尊厳を守る、って覚悟は持てなかったんだろ?
悪くはない、仕方がないことだ。
脱DTは自分な好きな人と果たしたいなら、今のまま頑張れ。
単に彼女が欲しいだけなら、友人に従おう。DTは野良で捨てる。
たぶんもう両立は難しいよ。
エバンジェリストってもともとの英単語調べると布教家って意味だよ。つまり、とにかく自分とこのソフトの新しいやつ、新しい考えを入れれば絶対幸せになると思っている宗教家のよーなもんかと。
伝えたいことが無いのに、何かを伝えようと頑張っているから破綻する。
分裂勘違いくんにブクマしてるのって100人くらいは同一人物なんじゃね?
なんであの程度のエントリに400も500もブクマがつくのか?
俺的には15〓16、多くて30くらいのブクマがつきゃ十分てくらいの内容としか思えんが。
母が死んだ。
父は、家族葬にし、葬儀は極力地味にすると決め、親族以外一切連絡しなかった。
父が家族葬に決めたのには理由がある。母と同世代の人は大抵年金生活者だから、気を遣わせて無用な出費をさせないよう、
「極力派手な事はしない。」
と方針を決めていたのだ。
少人数なので、不快な出来事は起きにくいはずだった。
通夜の前日、母方の伯父が生花を出すと言い張り聞かなくなった。その伯父は元町会議員((実は、祖母の連れ子だった母とは直接血は繋がっていない。))。葬儀委員長だった父の弟((近所に住んでいて、私たち家族とは深い付き合いがある。冠婚葬祭に詳しい。))が渋々それを受け入れると、今度は父方の伯父が声を荒げて生花を出すと言い出した。
嫌な雰囲気になった。
翌日、火葬場で母が焼かれた。程なくして、骨を拾う事になった。マイクロバスが用意された。
私たち家族だけだろうと思っていたら、母方の親類が押し寄せるように乗り込んできた。それにつられてか、父方の親類まで乗り込んできた。マイクロバスは、満杯の親類縁者を乗せて火葬場に着いた。
生花にこだわった父方の伯父は、焼却炉を覗き込んでしたり顔で頷いていた。
母方の伯父の一族は、母の骨を見て、
「ほらほら、骨が黒くなってる。あっちも、あっちも。黒いところが病気のところなんだよね。」
とざわめき始めた。
「焼くと、病気だったところの骨が黒ずむ。」という俗説は、私も火葬場に行くたびに聞かされた。時には火葬場の責任者が骨を指して、
「ここが病んでいたところ。」
などと言う事もあった。
しかし、母の病巣は肝臓で、蛋白質主体であるその病巣が800℃以上で1時間30分以上焼かれてその痕跡を残すとは考えられない。
さらに、母が骨に転移などを起こしていなかった事は死の直前に行われた検査で明らかになっている。
しかも、彼らが「黒くなっている。」と騒いでいたのは、淡褐色になった骨髄の部分だった。そこに病巣はない。
生焼けなら可能性はあるが、いつからこのような俗説が流行り始めたのだろう。
親戚はざわめき始めた。
「こりゃあ、痛んだろう。」
「辛かったろうね。」
母は自宅療養だった。癌であるにもかかわらず痛みを一切覚えず、モルヒネを最期まで使わなかった。
父の献身的な介護で、母は快適に過ごしていた。死の6日前まで穏やかだった。笑顔もあった。
医師が何度も「痛みは本当にありませんか?」と聞くのがおかしいと笑った事もあった。
そして、医師が驚くほど母は長く生きた。念のためと入院してすぐに死んでしまった。
何も知らない親類縁者が、2年にも及ぶ父の献身的な介護を見ることもなく、穏やかだった母の生活を見ることもなく、勝手に母を苦しんだ事にし、母は辛かったんだ、不幸だったと言い始めた。
奥歯を噛み締めながら母の頭の骨を箱に収めていると、伯母((生花を出すと言い張った伯父の妻))が私の背後に近寄り、こう言った。
「○○ちゃん、あの黒いとこが病んでるとこ。」
怒りで涙が溢れた。
火葬場を出る時、私の顔を見て従兄弟((生花を出すと言い張った伯父の長男))が
「あいつ、大丈夫かぁ?」
と言った。
彼は、母が病気を克服するために頑張ろうとしていた2年前に家に来て、まるで通夜のような顔をしていた。
2年前には通夜のような顔をしていた従兄弟だが、初七日法要には最前列の端っこでいびきをかいて眠っていた。
通夜の前に母方の叔父と競って生花を出すと言いだした父方の伯父は、母の祭壇をカメラで何度も撮影し始めた。宗派が違うので面白かったのだろうか。
その夜、葬儀委員長だった叔父と、もう一人の伯父と父と私とで、遅くまで飲み、話し込んだ。
「火葬場に、野次馬が来てしまったんだな。」
父は私にこういった。
「所詮、花を並べて皆に見せることでしか、母との関係を示せない人たちなんだ。」
葬儀に行く人にお願いしたい。
どんな形であれ、ずっと一緒にいた者が骨になっている家族の周囲で、あれこれ言い立て騒ぐのはやめて欲しい。
葬儀で眠いなら、席を外して欲しい。
もっといい文章を書きたいって思ってる人に実践して欲しいんだけど、「はじめに結論ありき」な文章を心がけて欲しいんだよね。自分は結局何を言いたいのかを先頭に持ってきて、枝葉末節をその後に持ってくる感じで。自分の中の思いをgdgd吐き出して最後に適当にまとめあげるのは、全体的にモヤモヤしてて読みづらいです。
「自分は○○だと思う。その理由は3つあって、すなわち△△・□□・◇◇というわけである。△△というのは……」
みたいな感じかな。
大学でテクニカルライティングとかの講義を実践してれば、そういう物事の考え方がしっかり身につくことが多いんだけど、本格的に取り組んでる学校はまだまだ少数な気がするんだよなー。個人的にはもう必修科目ぐらいの勢いで扱って欲しいんだけど。
まあでも、深く考えずに自分の言いたいことを勢いに任せて書き出すほうが面白くなる場合もあるわけで、最終的には自分が一番ベストだと思うやり方で自由にやるのがいいかと。←という、結論が最初と異なってしまうのもまた焦点がボヤけたよくわからん文章になるので要注意。