なんだか分かる
KYだとか、そういう言葉にうんざりしたり、あまりの「空気嫁」社会にうんざりする一方、
でもそれでも俺自身もおそらく、他人が空気読んだりしてくれたことに、幾度と無く救われたのだと思う。
「空気嫁」も、デメリットだけじゃなくメリットもやはりあるから一概に否定しきれない。
かといってやはりあまりに空気を重視しすぎではないか、という感情も残るのだが。
それでもなんだかんだ言ってこの空気社会で生きてきた、有る意味空気に甘えることもあったであろう俺が、その空気の助けのないアメリカンな社会でやっていけるのかといえばそれはそれで自信がない面もある。
家でちょっとオカンに反抗してみて家出してみたけどやっぱり家が一番だったみたいな、
そういう事になるのではないかという危惧がある。