働く側がこういう気持ちでいるのと、雇う側がこういう気持ちでいるのとでは、また違うと思うけど。
同感。カイジとか読んだ方がいいよねぇ。「大人は大事なことは言わない」
新人さんは、こういう苦言を呈してくれる人が近くにいたらありがたいと思った方がいいよ。
いつの間にか、何となく居づらくなってしまい、理由を誰も説明してくれない、ってのが普通だから。
日本に対する好感度はアメリカよりヨーロッパのほうが高いのに、日本人はヨーロッパよりアメリカを好ましく思っている、というアンケート結果があったね。
来るものは拒み去るものを追う主義なんだろうなジャパニーズは。
「あいつは都合の悪いエントリをすぐに削除する卑怯者だ」「しかし既に魚拓をとっていたからあいつには逃げ場はないぜ」「この魚拓を見ればあいつがどんな馬鹿なこと書いていたかわかるぞ皆さん」と、ネチネチといたぶるに決まってるじゃないか。
http://anond.hatelabo.jp/20071022155008
ダウト。
本当に無垢なのは赤ん坊ぐらいしかいないよ。
まあ、君はジョディ・フォスターの出世作『告発の行方』を
見て悔い改めたまえ。
「なるのだ。」じゃなくて、「なると中国人は考えている。」だと思うが。
それをあたかも絶対ルールのように断言するのはおかしくないかな。
追記:
「「なると中国人は考えている。」と、元増田は主張している」が正しいのかも。
本当に中国人がそう考えている保障はどこにもないわけで。
世代が変わる程度に団体…国、自治体、企業などがしょってる責任とか利益とか改まるようにはなっとらんのだろうか。過去の戦争の責任(太平洋戦争に限らず)、財政の責任(国債とか国債とか国債とか)、著作権(ディズニーとかディズニーとかディズニーとか)…、ねえ。なんで関係者が丸ごと入れ替わってもだらだらと続いていくの。一部は明らかにやりすぎでしょ。
正直なところODAは本質的な問題ではない。
向こうにとってみればないよりかはあった方がいいだろと言う程度のものだろう。
だからこれからも良き協力者であればいい。
友好な貿易相手であり続ければいい。
今まで以上に協力するという約束を取り付ければいい。
もうすでに中国が求めていることはやっているのだからそれを続ければいい。
だから本当にやるべきことは1つしかない。謝罪をやめることだ。
会社にとって社員教育は重要。それは事実。きちんと教育して社員のレベルが上がれば会社の質が上がるから。けれど、同時にリストラも重要。教育しても伸びない奴、教育する価値の無い奴は捨てないと会社の質が上がらないから。
元増田だけど
やっぱりそういうものなのかなあ。
俺は酔っ払ったことがなくて、意識を失うくらい飲んでみたいとは思うんだけれど・・・
多額のODAじゃ足りないのかな?
日本人的な感覚で向こうの人の気持ちを推し量るべきではない。
日本と中国は東アジアに属しているのに考え方・感じ方が正反対だから。
私の目には中国や韓国が謝罪を要求しているのではなく、日本人が勝手にいつまでも謝り続けて、しかも全く誠意が感じられないことについて怒っているように見える。
繰り返すが向こうの人は感謝の言葉や謝罪の言葉は繰り返すと安っぽくなると考えている。
(ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいよりも、一言ごめんなさいの方が誠意があって信用できると考えている)
そして言葉よりも態度で示すのが正しい気持ちの伝え方だと感じている。
だから、言葉なくても日本が中国に協力的なら、それで誠意を表していることになるのだ。
なるのだと考えているらしいようだ。
戦力にならない人が増え、戦力となる人がその穴埋めをする羽目になる。
これは、組織的に働く以上当然のことなんじゃないかなー。
その前提の上で報酬に差をつけたりするんだし。
例えば、何か人に言えない事情があって、それをお察ししない周囲から叱責を受ける事がある。
本当の事を話せばどんなに気が楽になるだろう。
賛同も得られるかもしれないし、
同情してくれた人が味方になってくれるかもしれない。
でもそれはきっと罠というもので、
弱みを握られ、それをネタに予想だにしない事態が起きるかもしれない。
だから叱責は甘んじて受け、被害を最小限にとどめる。
人生もう一回やり直した方がいいのだろうか…。
何かについて謝罪するということは、その謝罪した気持ちをずっと持ち続けるってことだよね?
一度謝罪したら、それからずっと謝罪の気持ちを持ってるか確認したくなるんじゃないかな。
亀田が内藤に謝罪しても、また「ゴキブリ」呼ばわりしたり、内藤相手じゃなくても反則まみれの試合したら、また謝れってなるじゃん。
そんなときに亀田が「何度謝ればいいんだ!?」って言い出したらおかしいでしょ?
中国(や韓国)に国として公的に謝罪するのは次で最後にすると宣言してはいかがか。
というのも、今、日本が謝罪することは両国にとって有害無益にしかならないからである。
あちらの人間は言葉を重ねない。一度の言葉にかなり強い意味を込める。
日本人のように感謝の言葉や謝罪の言葉を何度も重ねたりはしない。
言葉に重みがあるために、何度も繰り返して言うことは逆に言葉の重みを失わせてしまう。
だから、向こうでは、お礼の言葉も謝罪の言葉も繰り返し言わない。
一度感謝や謝罪を伝えた後は、言葉よりも態度で示さなければならない。
言葉の回を重ねるほど言葉が安っぽく、誠意がないように感じられてしまうのだ。
向こうの人らに会ったことある人なら何となく分かるだろうが、彼らは語調が強い。というより語調がきつい。
彼らにとってみればそれがデフォルトなのである。
だから、何度も重ねて言うと、弱い語調で言ってるのではないか、本心ではないのではないかと勘ぐられる
ここは感謝や謝罪の言葉を何度も繰り返す日本人とは対照的である。
大体、中国(や韓国)とはすでに講和条約を結んで国交を正常化させている。
講和条約を結んだ以上は不満が残るとしても戦争の責任は問わないのが現代の国際理解である。
いつまでも戦争の責任を問うのは古代・中世的な復習の発想である。
今の状況はとても国交が正常化した国の態度とは思えない。
一体そんなことをして両国民が喜ぶだろうか?
日本人側は「こんだけ謝ってるのにいつまでこんなことをしなきゃいけないんだ」とフラストレーションを高めていくだけだろうし、
中国人側は「中身のないことを一体いつまでしてるんだ」と、ますます怒りを募らせるだろう。
中国人は形だけの物を評価しない。実利・実質を優先する。言葉以外の物でもそうだ。
中国人は我々から見たらがめついと思うほどにほど商魂たくましいく見える。それは形式よりも実質を重視している表れである。
謝罪を繰り返すことはただの蒸し返しにしかなっていない。
謝罪を重ねるほどに、言葉を重ねるほどに、それがますます形骸化していくことになぜ気づかないのだろうか?
だから日本国としては「国としての公式な謝罪はこれを最後にする」と高らかに宣言すべきだ。
「我々は、過去の過ちを忘れない。だが今、謝罪は逆に両国に憎悪と悪意を増やしている。この悪習はここで断ち切ろう。」
これで最後だから心を込めて精一杯のごめんなさいをする。それから先はよき友好相手として付き合おう。
もちろんこれは個人的な謝罪を禁止する物ではないし、謝りたい者はこれからも謝ればいい。
でも、国としてはこれを最後にする。
そして謝罪を終わらせたとて、友好関係が崩れるわけではない。
これからも日本は中国の経済発展を支援していくだろうし、中国も良き貿易相手であり続けるだろう。
恨みが完全になくなるわけではない。でも恐らくのところ、誠意のない伝統だけの謝罪を100回繰り返されるよりも、一度きりの誠意がこもった謝罪の方が、向こうの人は歓迎するはずである。
そして、謝罪をやめても、「謝罪の伝統を復活させろ」なんてことは恐らく言ってはこまい。
x12
「人を育てる立場に立った時、最初に覚えるべき技術」
http://d.hatena.ne.jp/favre21/20071023#1193177742
最近、この手のエントリがブクマの上位にいるのをよく見かけるんだけど、若干の違和感がある。
新人・部下を育てるのは確かに重要で、それは上司の役割でもあるんだけど、もっと重要な役割が抜けていると思う。
即ち「仕事ができない人は会社には不要である」ということを伝える役割である。
このことをちゃんと理解していない新人は実際に結構いる。
そしてそれは無限ではない。
確かに教育を施して全く育たない人なんていないとは思う。
他の人より遅くとも、その人なりに、少しずつ成果は現れるだろうとは思う。
しかし、平均で1年でこなせるようになる程度の仕事を覚えさせるのに3年かかる人は、その後も同様な期間の教育を必要とするだろうことは容易に推測されるだろう。
結果どうなるか?
戦力にならない人が増え、戦力となる人がその穴埋めをする羽目になる。
その穴埋めを強いられる人は、戦力にならない人の教育もしなければならない。
だからどんな会社にだって、明示的でないにしろ、その「期限」は確かにある。
小さな会社なら辞めていただくことになり、大きな会社なら移動となる。
新人さんに聞きたい。
それを当然のことと思っていやしないだろうか?
いつまでも今の会社で今の業務についていられると思っていやしないだろうか?
会社を辞めさせられるなんてあり得ないと思ってやしないだろうか?
結局、全ては自分次第なのだと言うことを、新人さんは最初に知らなければならないと思う。
前述のエントリのようなことを上司にされるのを待っていてはいけない。
数年後、上司から「君は戦力にならないから…」と言われたとして、当然ながらそのツケを会社も上司も払うことはない。
ツケは全て自分が払うことになる。
本当に悪いのは、その悪い会社や上司に頼った自分なのだということを知らなければならない。
自分の将来を具体化し、会社や上司を自分の将来の具体化に巻き込んで利用する方法を考えなさい。
そして、自分の将来に会社や上司が不要であれば、今すぐ会社を辞めなさい。
残念ながら育たない人というのは現実にいる。
件のエントリには「それでも育たない人がいる」という視点が抜けている。
「ちゃんと育てれば使える人になるはず」というような考えは、間違いであると断言する。
(うがった見方をすれば、コンサルタントに携わるものがそれを知っていたとして、それを言うことがあるだろうか?)
この事実をマネジメントの底辺に据えないと現場は疲弊することになる。
誰が最も疲弊するか?
育たない部下を持った上司である。
そんな部下を持った上司は、それが人間的にいい上司であればあるほど消耗する。
そして、いい上司であればあるほど「それでも育たない人がいる」という事実を無意識下に避け、件のエントリのような内容に惹かれる。
結果、育たない部下をそれでも懸命に育てようとして上司はおしつぶされていくことになる。
だからこそ書いた。
id:finalvent氏はこのエントリをして「ますだ陰」と評した。
全くその通りである。
こんなことを前面に出していたら組織は成り立たない。
これを事あるごとに部下に言う必要は無い。
たった一度だけ、心に刻ませればいい。
件のエントリを読んで「こんな上司いいなぁ」「私の上司はまさにこんな人。良かった」なんて思っている君。
君は上司を消耗させているのだと言うことに気付きなさい。