http://anond.hatelabo.jp/20070206213546
鼻じゃね。
これを男性性器の模倣であるとする考え方がある。鼻の大きい男性は性器も大きいとの俗説や、天狗のお面が男性器の象徴に用いられる場合があることなど、それを心理的に裏付けるものである可能性がある。
ウィキペディアより
特設コーナーにずらりと並ぶ、なにやら高そうな(実際結構高い)チョコレート。そのコーナーの一角に手作り用品コーナーが。スーパーの近所の高校の制服を着た、きゃらきゃらしたおなご数人の横で何があるかチェックするも、見慣れない物を見てしまった所為か、途中でなんだか目がチカチカしてくる始末。情けない。それでも女子か。そしてなんだよこのかわいらしいちまっとした小瓶に収まったハート型とか星型の金粉って。美輪明宏の毛の色リスペクトなのか? 金粉なんて日本酒に入ってるのしか見た事無い、食べた事無い。混乱して何を買えばいいのか判らなくなり、何も買わずそそくさと特設コーナーから立ち去ったチキンな私を許せ。
近いうちに又このスーパーに寄るので、必要なものをメモして、ささっと買ってきてしまう事に決めた。あの一角は魔界だ。恐ろしい鬼が住んでいる。何故だ、普段良く見る板チョコは怖くないのに。
焼き菓子は量も多そうだし良さそうですね。非電動泡だて器でメレンゲを立てるというのは苦行だったのですか……恐ろしい……。
こないだのカンブリア宮殿に村上隆っていう芸術家が出てたけど、彼のやってることは、彼曰く「先人たちへのリスペクト」。そして彼が崇拝するのは宮崎駿。世界では大人気でも日本ではパクリストとして(一部から)認識されてる人を、世界では大人気でも日本では芸術をビジネスにしようとしてる野朗がリスペクトしてる、ていうのが日本の芸大生の一般的な認識のようです。だけどじゃあ、創作活動における「先人たちへのリスペクト」と「模倣」の違いって何なんだろ。連綿として続いてきた、音楽や絵画といった芸術の歴史の系譜をいやでも継がざるを得ない創作活動の中で、完全オリジナルな作品なんて作れるの?それって、先人がなし得なかった要素だけを奇跡的に抽出する一発勝負と同義ではないの?誰かえらい人教えてけれ。
文章の書き方について
こうやって
区切って
書く人
改行せずに自分の考えを書いていく人は見易さよりも自分の意見を相手に伝えることを重視したいと考えているのだろう。特に考察サイトに多く見られる書き方で、よほど興味がある内容でない限り最初の2~3行を読んで全部読まれない欠点がある。
前者は直感的な人
俺は前者の方が好き
読みやすいから
つまり、非モテというのはただもてていないという状態を表す言葉ではないという捉え方であると。
それならそれでいいんじゃないですか。
実に非モテらしい反応を堪能できましたし。私は満足です。
筆者の考える非モテっていったいなんだろ。
それってさ。
「まわりより早かったか遅かったか」
じゃね?
イノベータの苦悩、とか言っとくとかっこいいんだぜ?
http://anond.hatelabo.jp/20070206202756
(ちなみに俺の場合、チン毛はうれしかったけど腋毛はイヤだったなぁ。何でだろ)
つまり、非モテというのはただもてていないという状態を表す言葉ではないという捉え方であると。
それならそれでいいんじゃないですか。
実に非モテらしい反応を堪能できましたし。私は満足です。
非モテからの脱却ということが考えられるのならば、それは現在の状況を指す言葉であって、非モテに陥るということだって考えられるのではないかな。
非モテ→モテやモテ→非モテという変化を容認できるなら、一度も彼氏彼女がいたことがないと言う状況は、非モテの中でも特に未モテということにすればいいんじゃないかと思う。
アカデミックな場面なんかだとセクシュアリティの方が多いような気がするんだけど。
Googleさんの検索結果
セクシュアリティ の検索結果 約 426,000 件中 1 - 10 件目 (0.23 秒)
セクシャリティ の検索結果 約 150,000 件中 1 - 10 件目 (0.20 秒)
セクシュアリティ で検索した結果 1??10件目 / 約254,000件 - 0.40秒
セクシャリティ で検索した結果 1??10件目 / 約107,000件 - 0.40秒
ヒント
セクシュアリティ ではありませんか?
私ははてなダイアリー市民ではないので編集はできないのです。
セクシュアリティの履歴を見ると、コメントに# Kakeru 『参照数、メディアでの表記の多寡により、主従を逆にします』 (2005/02/26 02:35)ってのがあるけど。
慣れすぎているどころか向こうからスキンシップしてきますが自称非モテだそうです。
もうしねばいいのに!!むしろあたしが振り回されてしんでしまいます!!
なんか、実際にお店で買う時は五千円くらいでも充分逡巡するのに、ネットショップで一万円くらいのものを気軽にポチッとしてしまう。
まぁ現ナマをやり取りするかカード番号を入力するだけかの気楽さの違いもあるだろうけど、なんか自分の場合は実物見ても全然ピンと来ないんだけども、ECサイト上で適当なモデルの人が実際に着てたり、ちゃんと広げた画像で見せられた方がピンと来るんだよな。
なんか小洒落た店だとみんな畳んで並べてあって、片っ端から広げて見比べられないと言うか、ウロウロしてる内にプレッシャーに負けてゆっくり選んでられないのだ。
高1くらいのときに下の毛が生えてきたのだが、それを見て自分が男である事を目の前に突きつけられたような気がして、なんだか無性に怖くてしばらくの間カミソリで剃ってた。
声変わりが始まったときも、変化していく自分の声を聞くのが辛くて、しゃべるのが怖かった。
伊集院光が毛の生えた嬉しさを語ってるのを聞いて、まぁ世の中そういう人たちが大多数なんだろうなとは思うのだが果たしてどうなのだろう。
「本場直送の」/「最高級の」/「イキの良い」
「で贅沢に仕上げた」/「をふんだんに使った」
「極上の」/「絶妙な」/「ヘルシーな」/「絶品な」/「極ウマな」
「逸品」/「ひと品」
たいした逸品でもなんでもないものを逸品と呼ぶ番組が多すぎる気がする。
今週の週刊新潮だったかで(立ち読みだったのであんまりよく憶えてない)酒井順子が、「田舎に行くとセクハラまがいの言葉を平気でかけてくるオジサンやオバサンがいるけれど、ああいう言動って日本的な共同体意識の産物だよね。その点東京の人たちは、ちゃんと他人に干渉しないという作法が身についているから、デリカシーがあっていいなあ」みたいな主旨のことを書いてた。概ねそれは同意なんだけど、じゃあ「他人に干渉しないという作法」ってのは本当に共同体意識から逃れているのかなあ、ということを時々考えたりする。東京、あるいは都市部の人の、潔癖すぎるようにも思える過剰な「他人に干渉しない」主義というのは、「他人に干渉してはいけないという規範を強制する」という干渉だとも考えられるんじゃないか? それが極端な場合はときとして息苦しいものなんじゃないか? とも思うのだ。田舎の人の立場をシミュレートしてみると、「東京の人はホンネを隠して体面ばかり取り繕って生きているので艶話の一つもできない。あの気遣いは日本的な共同体主義の産物だ」という言い方だってできるんじゃないだろうか。
だから、大切なのは、「他人に干渉する自由を犠牲にして、他人から干渉されない自由を主張すること」でも、「他人から干渉されない自由を犠牲にして、他人に干渉する自由を主張すること」でもなく、「他人に干渉してよいスペースと、他人から干渉されないスペースとを、選択して行き来できる自由」を守ることだと思うのだ。