ケンタッキーとかを高い!
みたいな意見を見る
コスパで語るってことは味なんか品質が違うことはわかってるらしい
けどそれは求める物の中で代替性があるもの同士の場合に限られるんでは
ケンタッキーとコンビニで比較すると味に違いがあってもどっちでもいい人には確かにコンビニになる
けどケンタッキーの味がやはり違うと思う人はコスパってよりケンタッキーとコンビニとの価格差を自分が許容できる費用なのかってことをコスパと言ってるように思える
その上でコンビニっていう人は差額の出費を金銭的に許容できてないってケースを相当含んでる気がする
ならコスパで語られてる本質は金銭に対するその人の価値の重みなんだと思う
それが許容できない!っていうのはそんなに金銭が価値を持つんだなぁと思って個人的には悲しくなる
彼らは味の違いを楽しむことにコストがかけられないんだなぁと