その昔、まだ読み書きの出来る人が限られていた頃。その中でもとくに、きれいな字を書ける人は神のように尊敬されたのかもしれません。その内容にかかわらず、字がきれいというだけで正しいと認められて特権を享受していた時代もあったのでしょう。
やがてグーテンベルクという人が活字を発明して、書き文字の美醜に関わらず誰もがその思想を表現できる途を開いた。もちろん、きれいな字を書ける人の中でも選りすぐりの人たちは、書道という造形芸術の高みとして尊敬され続けた。
書道という運動能力と美的感覚を兼ね備えた人のみに許された場所へは行けなかったけど、美的感覚のみの人たちがそれをテンプレ化してフォントを作った。
誰もが思想・感情を表現できる手段として活字が出来たし、その中で美的感覚を選ぶ手段としてフォントが出来た。
絵はどうなるのだろうね。選りすぐりの絵描きたちは書道のようにその技で魅せることが出来るし、センスの優れた人たちはフォントへと列聖して持たぬ者たちに施す。そして誰もが造形手段でも思想・感情を伝えられるようになるのである。
当然ですけど。書道家になりたい人もフォントとして列聖したい人も、他人から盗んだ物でそれをやってはダメですね。それはやった人に帰する成果だから。そのどちらにも権利というものは存在するべきだと考えますので。