2023-04-03

水星魔女一期

水星魔女の二期を見る前に、一期最終話を見た時に思ったことを書いておかないといけないと思った。

一期の最後スレッタの母が娘を撃とうとした兵士を撃ち殺した時に述べた理屈倫理一般としてなにもおかしくないのよね。現代日本裁判で主張しても多分通る。母があんまり平気な顔しているのがおかしいというだけで。(それだけ冷静なら殺さずに済むように準備しとけと思うが、敵が何人いるのか分からんのでたぶん無理。)

母親が人を殺したのを見た後にスレッタが立ち直るのが異常に早いのは、そもそも水星育ちは「人が死ぬこと」に慣れているという推測をしている。そう考えると冒頭で宇宙漂流しているミオリネを見たスレッタの反応は「間に合わなくて死なせた」経験を反映しているのかもしれない。

「手足を失った人が大勢いる」というアーシアンに「どんな田舎から来たんだ」と言われ、マスクを取れと言われて「マスクの下に顔はない」というブラフ通用してしまうのが水星である

最後のシーンの行動。スレッタは「自分馬鹿でミオリネは頭がいい」と思っているから、「自分母親に言われて納得した理屈なんてミオリネさんはとっくに分かっている」と思っているのだが、ミオリネの方はおそらく目の前で人が死ぬのを見たのも初めてで、まず人が死んだ衝撃に打ちのめされている。

「でもよう、ミオリネさん。わたし、4歳の頃にはもう人を殺していたよ」

(元のセリフ、鉄牛ですら15だった。)

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