2018-10-10

海外から見ると恥ずかしい」というリベラリズム保守的感性

海外はこうなのに日本はまだこうなの恥ずかしい」

 という意見を見るたびに、その個別妥当性はひとまずおいておいて、

 なんか田舎の近所付き合いっぽい物言いだなと毎回思う

 あるじゃん

「○○さんちではああなのにうちではこうなのは恥ずかしい」

 とか

「△△みたいなことをやったら他所様に顔向けできない」

 とか

 いかにもふつうならリベラルが嫌いそうなもの言いがさ。

 正義思想や筋よりも「恥」を規範最上位に置くやりくちがさ。

 似てなくないか

「ご先祖様に申し訳が立たない」

 とか抜かすネトウヨ同類に見える

 見えてしま

 もちろん国際社会日本が一人前の面するにはグローバルスタンダード大事にしなきゃいけない

 でも正義ロジックまでそこから持ち出すのは正当性があるんだろうか

 自分たち正義自分たちロジックで導く努力をすべきではないのだろうか

 自分たちの嫌っているはずの感性に乗っかってあれこれやってるかぎりは腐った旧弊の打破なんざ夢のまた夢ではないのか

海外基準だと〜」にかぎらず、

 リベラル的な言説の陰に田舎保守性が垣間見えてしまうと、

 気持ち悪くなってしま

  • 実際恥ずかしい国なんだからしょうがないだろw

  • だから前から言ってんだよ 結局明治保守も自称リベラルも、人を殴って従わせようという性根は同じで、ただご本尊として置いてるものがが違うだけなんだって

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