2018-09-22

新しい自分

 何度目かの大雨が過ぎて夏の暑さを忘れてきたころ、その日は真夏日とは言わないまでもじんわりと汗が浮き出るほどには気温が高かった。久しぶりにゆったりと過ごすことができた一日の締めくくりに、湯船に浸かったときの楽しみでもある髭剃りのためのシェービングジェルを顔に塗っていた私は、ふと自分の腋に目を留めた。そういえば、なぜ腋毛は剃らないのだろう。当然と言えば当然の疑問が浮かんだ。いくら体毛が薄いとはいえ、齢も二十をいくつか過ぎ、伸びるのが早くなった髭はほぼ毎日剃っている。髪の毛だって二ヶ月に一度は切りに行く。しか腋毛は生え始めた十余年前から今までに一度も剃ったことはない。そう思ったら途端に、洗うことだけでは絶対に落ちることのない穢れがそこにあるように感じた。私は湯船を出て、シェービングジェルを充分に手に取り、両の腋へ塗りたくった。穢れを落とすための儀式がぬるりぬるりと腋を滑ってゆく感触からジェルが腋に浸透しきったという確信を得て、右手でカミソリを握った。左腕を大きく反り上げ、肌を傷つけないよう、慎重に、刃を寝かせ、ほぼ平面となった丘陵へ滑らせる。驚くほど容易く肉体から解放された毛は刃に合わせて音もなく移動する。体勢を保ったまま腋にシャワーを当てて鏡を見ると、伸び放題だった雑草がきれいに除かれた大地が顔を出していた。十余年ぶりの再会である。同じ要領で右腋にも刃を滑らせる。シャワーで流した後の腋を撫で、わずかな剃り残しを認めた左手利き手に比べると幾らか不器用だった。風呂を上がり、鏡の前で両腕を上げて腋の状態確認する。無駄ものなどない、ある種の美しさを纏った両脇を見ると自分存在が新しく生まれ変わったように感じた。視線を移すと、性へダイレクトに訴えかけ劣情を煽り立てるようなポーズを取っている自分と目が合った。あほくさ。私は昂った気持ちが急速に冷えてゆくのを感じながら、ちょうどひと月前、陰毛を全て剃った数日後の猛烈な痒みを思い出しながら寝床に入った。

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