2018-08-17

働いても、働かなくても、しあわせになんかなれない

貴重な連休をクソみたいなネットサーフィン死語)で溶かした

今日一番心に残ったことを書き留めておく

年代で30近くのオジサンが顔出しyoutuberとして身の上を語っていた

曰く、親の会社に雇われ定額をもらっているけど辞めたとかなんとか

なんか途中で心に何かが引っかかって見るに耐えなくなり再生を止めた

そして、彼のことが羨ましくもあり、彼のような悩みと葛藤こそ正しいと思えた

ここで自分語りはしない

だけれども、かつて学生時代に生きる意味とか定年まで続く無意味労働やらにぶち当たって悩んでいた自分が遠くなり、日々の仕事に追われ悩まないが疲れているばかりの自分に気付き嫌悪憐憫を感じた

疲労は、悩む自由さえ人から奪う

例えるなら、抗不安薬のようなもの

タマがボーッとして、何もかもどうでもよくなる

だけど、それって幸せなのかな?

自分には何もできないのだけれど、悩み続ける彼に賛辞を送りたい

そして、加齢と劣化というのか、成熟感性というのかわからないが、変わってしまった自分を哀れに思う

一歩でもすすむんだ、絶望に追いつかれないように

  • 職業差別があるからですね。 職業差別されてない職業の人は過労死も少なければ生涯賃金も高い上、精神疾患にもかからないということです。 職業差別をなくすしかないわけです。

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