2016-08-23

書くこととは書かないことと見つけたり

私にとってものを書く作業というのは、書かないことを選ぶ作業だ。

ものを書いていると、書きたいことを客観視することになる。そうすると、書きたいと思っていたことがただ単に自慢したいだけのことだったり、誰かに対して失礼なことだったりといったようなことがよく見つかる。

それでも書く、というときもあるが、多くの場合そうしたことは書かない。それに、よくよく考えてみると案外そうしたことを書かなくても本当に書きたいことを表現することはできたりするし、むしろ書かない方が本当に書きたいことを素直に表現出来る。なぜなら、そうしたものごとは単なる修辞にすぎないことがほとんどだからだ。

炎上する記事などを見ていると、その記事の論旨そのもの炎上していることはむしろ珍しく、その修辞で炎上している。言いたいことを強めるために使った修辞が強すぎるため、それが人の心を煽り炎上を招くパターンが多い。例を挙げると、「みんな稗とか粟しか食ったことないの?」や、「(アニメか?)」といったものである

その強い修辞は確かにキャッチーかもしれない。でも、それがおごりや非礼につながっていないか、今一度考えてみる必要はある。

一方で、強い修辞がなければ人を惹きつけることができない、という問題もある。だが、その強い修辞に自らの論旨を歪められてしまうのならば、やはりそれはない方がいい。

から、書かないことを見つける作業大事なのである

  • まったくその通りだけどね。 でも増田やネットは「おごりや非礼」を餌にして自給自足しているようなものだから。 そこをわきまえられる人ばかりになれば、ネットは無音になるだろう...

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